デモへ抑圧にあわせて、中国のネット規制(フィルタリング)が強化され始めたようである。
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/d/20050422より。
ネット規制に話を戻すと、文中に含まれると送信できなくなる「NGワード」も大幅に増えている模様です。「反日」「抗日」や「遊行」(デモ)などがそれで、大手ポータル系の論壇に行くと「反.日」「抗-日」などと苦心しているスレッドを目にすることができます。デモはともかく、本来錦の御旗である筈の「反日」「抗日」がNGワードになるというのは冗談としか思えません。まあそれだけ社会状況がが一触即発の危険水域にあることを当局が認識していて、それゆえ起爆剤を過剰なほど警戒しているということなんでしょうけど。
もちろん、中国のネット規制については、Jonahさん(id:Jonah_2:20050420#p2)が指摘するように、基本的に「穴だらけ」の側面があるのは事実だ。
何清蓮さんの名前が規制されていなかったり、「趙紫陽」が規制されても「紫陽同志」が規制されていないかったり(現在は規制されている)とけっこうぬるい面があるようだ。
そして、ネットユーザー自身も規制に引っかかりにくい言葉を考案しているようだ。たとえば「gcd」で検索すると共産党についてあれこれ語っている人が見つかる。
しかし、ローレンス・レッシグの『CODE』(山形浩生・柏木亮二訳)ISBN:4881359932 の中の次の言葉も忘れてはいけないだろう(101ページ)。
ふつうの鍵はピッキングであけられるけれど、だからといって鍵が役立たずということではない。そしてインターネットの文脈でいえば、コントロールが部分的でもその効果は強力なものとなる。
そして、中国の現実を考える時、次の言葉は何よりも重く受け止められなければいけないのではないだろうか(同書325ページ)。
でも、フィルタリングされないものに直面することにも価値がある。われわれ個人としては、貧困や不平等といった問題は避けたいから、そういう事実を自分の世界から締め出しておきたいな、と思うかもしれない。でも社会の観点からすると、市民達が自分に関心のない問題をあっさり無視するようになったらひどいことになる。
いずれにせよ、この問題にはもっとさまざまな角度からの、もっと突っ込んだ考察が必要だと思う。
※関連情報 id:hmmm:20050417#p1