以前の日記にトラックバックしていただいたdivoxさんid:dvoix:20050128と、前田裕一と言う人の映画「パッチギ!」評http://movie.maeda-y.com/movie/00455.htm。
重要なことが語られてるようなんだけど、とりあえず映画を観ていないのでなんともいえないなあ。
ただ、前田さんの紹介によるあらすじ
舞台は1968年、京都。主人公の高校生(塩谷瞬)は、小競り合いの絶えない隣の朝鮮学校へ親善サッカー試合の申し込みにいくことに。そして、そこで見かけた美しい少女(沢尻エリカ)と、彼女の演奏していた曲「イムジン河」に一目ぼれする。ギターを練習して少しでも少女に近づこうと思うが、彼女は朝鮮学校の番長の妹だった。
朝鮮学校と主人公の高校は生徒同士の争いが絶えない。根っこには国籍・在日差別があるから、その対立は大変激しい。ところが主人公と朝鮮学校の少女が恋をして、彼らをきっかけに双方が和解へすすむという感動物語だ。
を見て、僕がすぐ連想したのは、五木寛之の『青春の門』である。というのも、知っている人も多いと思うが今いわしげ孝が『モーニング』でそのマンガ版を連載していて、丁度先週号あたりで、信介がケンカでまかされた朝鮮人の男の子ともう一度「サシで勝負」するために単身朝鮮人部落に乗り込んでいき、その男の子を含む朝鮮人たちに「男(漢)」として認めてもらう、というシーンが描かれていたところだったからだ。
信介はまだガキなので色恋沙汰こそからんでないが、当初主人公にとって朝鮮人コミュニティがなぜか自分に対して敵意をむき出しにする「壁」としてあらわれ、やがてお互いの力と力の「衝突」を通じてその「壁」の乗り越えが描かれる、とこんな風に勝手にまとめてしまうといかにも共通点ありそうじゃないですか。信介も最初の出会いで朝鮮人の子にパッチギかまされてるし。
で、これはあくまでも『青春の門』の信介と朝鮮人とのケンカの描写に関してだが、僕はそれが「反日・自虐的だ」というのとはまったく違う意味で違和感を抱いている。それは一言で言うと、その描写へのリアリティのなさへの違和感である。つまり「こんな日本人と朝鮮人の間の友情物語ってホンマに存在したんか?それって結局(進歩的な)日本人が勝手に作り上げた物語ちゃうんか?」ということだ。たとえば、僕と同じように関西に生まれ育った30代の日本人なら、一度自分の親やあるいはじいさんばあさんに子供のころ朝鮮人とどういう付き合い方をしたか聞いてみるといい。朝鮮人と仲良くしていたかどうかにかかわらず、信介のような経験を語ってくれる人なんてほとんどいないような気がするんだが。
繰り返すが以上はあくまでも『青春の門』(およびそのいかにも「60年代」的感性)にたいする批判なので、21世紀の映画である「パッチギ!」はいい意味でそれを裏切ってくれていることを期待する。・・っていうか現状から言えば当分映画を観にいく暇などなさそうではあるのだが。