仲俣さんのブログid:solar:20050127でタイムスリップグリコの「思い出のマガジン」シリーズの存在を知る。そこで展開されている、「80年代のマガジンはなぜ面白かったか」という議論。
雑誌というのは雑多な内容のなかからどのくらいの確率で読者の興味を射抜けるか、というのが勝負であり、いわゆる専門誌とはそこが違う。たとえば文芸誌というのは専門誌であって、マガジンとしての「雑誌」ではない。「ファウスト」が文芸誌のなかでは図抜けて売れるのも、太田さんが「雑誌=マガジン」としての編集を手を抜かずきちんとやっているからだろう。雑誌が面白かった時代というのは、雑誌が手間ひまかけて作られていた時代のことで、手間ひまをかけるためにはお金も必要だけど、やっぱり雑誌を作る人が自分のつくる雑誌やその読者に、どのくらい愛情を注いだかということがいちばん大事なことだったろう。
期せずして僕がつねづね感じていた、『諸君』が『世界』よりなぜ面白いか、についての見事な解説になっているような。稲葉さんにせよ、ウィニーについての記事を書いていた佐々木さんにせよそうだが、未知の分野から面白そうな論客を見つけてくる努力をしているのは圧倒的に前者だよね。
あと、海洋堂なんかによって担われてきた食玩ブームは明らかに中国での委託生産によって支えられてきたわけだが、こういった「豆本」シリーズの場合どこで作ってどうやって採算ベースに乗せているんだろうか、ということも中国経済をメシの種としている人間としては一応気になるのだが、それはまた機会があったら考えてみよう。