梶ピエールのブログ

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なぜ『諸君!』が面白く『世界』がダメなのか(前)

さて、年末年始こそじっくり論壇誌を読み比べるのにもってこいの時期だ、というわけでまずは年末に出たばかりの『諸君!』2月号

 もちろん、「ああ、やっぱり」と言ってしまいたくなる記事も多い。たとえば、東アジア共同体構想について論じた青木直人の文章は、地域統合の政治経済的な得失に関する基本的な論点の整理をまったく行わないまま、この人のお得意の「中国利権批判」のみの視点から全面的な否定論を展開したもので、はっきりいってあんまり読むところがない。またアメリカのジャーナリストの議論を引き合いに出す形で中国の歴史教育の偏向を批判している古森義久の論考は、「ニコラス・クリストフのように日本の現状や戦争責任問題を批判ばかりしている左翼でさえ」中国の歴史教育にはあきれている、それだけ中国の現状はひどい、というロジックを展開しているが、これはちょっとナイーブに過ぎる見方だろう。そうではなくて、クリストフのような「リベラル左派」の眼には、おそらく日本も中国も同じ「民主主義の後進国」に映っているから同じような論法で批判できるんだと思うよ。中国を批判するのに「民主主義」「人権」という武器を持ってするのは、有効ではあるけどそれは場合によっては自分達にも向けられる恐れのある諸刃の剣でもあることくらいは自覚しておかなければならないと思うんだけど。

 しかし、この号には同時にいわば「もう一つの戦争・戦後史」についてを語ろうとする興味深い論考も何本か載っていた。たとえば水谷尚子の「中国共産党が創る“極悪なる日本兵”」はいわば12月号にのった反日青年達へのインタヴューの続編で、かつての抗日戦争もの映画で「鬼子兵」を演じた老優達へのインタヴューを通じて、「反日プロパガンダ」として一くくりにされることの多い中国共産党の映画制作への姿勢が時代とともにどう変容を見せてきたのか具体的に検証しようとしたものだし(タイトルは相変わらずトホホだが)、鄭大均の回想録は、「コリア系日本人」として発言を続ける著者がほとんど始めて自らの生い立ちや当時から感じていた組織的な活動への違和感を語ったもので、これまで岩波や朝日系の媒体などで「正統派マイノリティ」としての位置を与えられてきた人々とのそれとは微妙に異なる「もう一つの在日の歴史」の語りの可能性を示すものとして非常に興味深いものだ。
 また、今号連載が始まった『戦場紙風船』は若い世代の映画ライターが日中戦争の戦地で28歳で戦病死した山中貞雄の戦場での足跡を、残された手記や関係者の証言から追っていこうとするもので、第一回から力作の予感。僕自身は日本映画のファンでもなんでもなくて、恥ずかしながらこれまで山中の映画は1本も見たことがないが、それでも個人的に興味を引かれるのは、浅羽通明が以前別冊宝島で(428「おかしいネット社会」)、彼自身が日本社会における「個我」のあり方を考える元型となっているとして紹介した山中の出征に関する次のようなエピソードが非常に印象に残っているからだ。

 召集された山中はいったん即日帰郷となったが、その晩、帰郷組が連帯近くの宿屋に泊まったところ、うちひとりが帰郷を命じられたことを恥じて自殺を図った。取り調べた憲兵がこの行為を絶賛したところ、他の連中も口々に同じ心であることを告げた。そこで「それほどまでに入隊を望むなら・・・」ということで、みんな回れ右をしてまた営門をくぐることになってしまった。その中で山中ひとり「わたしは帰らせてもらいます」と言い出しかねて、一緒にゆかざるを得ない羽目になったというのだ。

 こういったエピソードにどのような新しい光が当てられるのか、また、いわゆる「百人斬り」事件の当事者である野田・向井少尉と同じ連隊にいただくという山中の目に映った南京戦がどのように語られるのか、個人的には連載の今後の展開に大いに期待したいと思っている。グラビアで紹介されていた写真も彼の人となりを伝える興味深いものだったし、本当にこれじゃ『世界』なんていらない、と思えるようなものになったら面白いのだが。