梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

下記シンポジウムの解説文(とりあえず書いたけど発表するアテもないので)

 「東アジア共同体」をめぐってあちこちでシンポジウムが開かれたり、雑誌や新聞の特集が組まれたり、この言葉をめぐる議論がにわかに活況を呈している。下記のワークショップも基本的にはその中に含まれるといっていいだろう。しかし、だとしたらそこでなぜまた「帝国」なのか。

 実は、「東アジア共同体」という概念については、今後日本が取り組んでいくべき重要課題として衆目が一致しているわけでは必ずしもなく、一部では非常に盛り上がっているけれども、一方では問題設定自体に露骨に不快感を示す人たちがいて、それ以外のマジョリティはあまり実感がわかずなんとなくしらけた感じが漂っている、というのが実情ではないだろうか。
 それは、現在のところ「東アジア共同体」をめぐる議論の対立が、(少なくとも日本では)すでに出来上がった、あるいは出来上がりつつある「共同体」の実体をめぐってというよりも、現存する二つの「帝国」的存在に対する態度の違いをめぐって生じていることとおそらく無関係ではない。
 つまり一方では、アメリカの「帝国化」に対する警戒感から、それに対抗できる外交・政治的リソースを蓄えるための「弱者連合(?宮台真司)」としての共同体創設に期待をかけ、一方では、覇権国というよりも専制的な前近代国家、として域内における「帝国」となりうる存在だと考えられる中国に対する警戒感から、「あんな奴らと組むならアメリカについていったほうがまし」としてそのような問題設定自体に反発する、という構図があるというわけだ。


 ここで、いささか不用意に使われる傾向のある「帝国」という言葉の持つ少なくとも二重の側面について指摘しておかなければならないだろう。一つは「絶大な権力によって世界に聳え立つ超・国家としての帝国」であり、もうひとつはよりリアルな、しかし互いに平等ではない主権国家間の国際関係の一つのあり方を示すものとしての「帝国的秩序」である。
 ここで話を「東アジア共同体」に関する議論に戻すと、その典型的な推進派、反対派のどちらの議論も基本的には先ほど挙げた、専制的超・国家としての「帝国」観に支えられており、自らが拠って立つ政治的な立場によって「帝国」性を読み込む対象がアメリカになったり中国になったりするだけだ、といっていいのではないだろうか。そこで欠けているのが、先ほどの「帝国」の二つ目の意味、すなわち歴史的な「帝国的秩序」からの連続性から「帝国」を眺めようとする視点、より具体的に言えばケイン=ホプキンスの「ジェントルマン資本主義論」に代表される、近年のイギリス帝国主義に関する実証研究の進歩によって支えられた、「帝国」と近代東アジアにおける地域秩序との結びつきに着目する視点である。

 実は、こういった近年の実証的なイギリス帝国主義研究の進展によって、従来のホブソン=レーニン的な帝国主義論はもとより、その問題意識を受け継いだ従属論や世界システム論的な帝国主義理解はかなり徹底的に批判されてきた、といってよい。詳しい説明は省略するが、後者の理解では、近代においてアジアやラテンアメリカはイギリス、あるいはアメリカといった「帝国」の工業資本の利益を最大限に保護する政策によって徹底的に搾取され、工業化を阻害される存在であった。それにたいし、産業資本ではなく金融資本こそがイギリスの経済覇権の源泉だった、という立場を取るケイン=ホプキンスの「ジェントルマン資本主義論」では、「イギリス帝国主義は、むしろ国際社会に国家間秩序と共通の通商ルールという公共財を提供し、そのルールに従う地域経済の活性化を促した存在」だと捉えられることになる。
 このような「帝国的秩序」理解を支えてきたもう一つの実証研究が、浜下武志や杉原薫らによる「朝貢システム論」「アジア間交易論」、あるいはそれらを支えた存在としての「華僑ネットワーク」論であり、近代による東アジアにおける高い経済成長に数量史的な観点から注目したビン・ウォンやポメランツらのいわゆるカリフォルニア学派による経済史研究だった。要するに、「ジェントルマン資本主義論」に代表される、「一方的な搾取でない、相互利益を追求する存在としての帝国」を強調する議論は、「東アジアにおける自立的な経済発展(それは「東アジアの奇跡」の議論にそのままつながる)」を強調するアジア交易論の議論と大層相性がよかったわけだ。
 昨年出版された、この分野におけるアカデミックな研究の最先端を示す山本有造編『帝国の研究』(名古屋大学出版会)に、アジア交易論および華僑ネットワーク論をリードしてきた研究者である杉原薫や籠谷直人といった人たちと、イギリス帝国主義研究の専門家が執筆者として仲良く顔をそろえており、相互にかなりかみ合った議論を展開しているのにはこういった学術史的な背景がある。


 もちろん、結局は世界のブロック化と第二次世界大戦の勃発へと向かっていった上記のような近代におけるイギリス主導の「帝国的秩序」を手放しで評価するわけにはいかない。また、近代の「帝国的秩序」と、現代のアメリカ主導の国際秩序を歴史的な連続性において捉えるには、冷戦期における(東アジアの)地域秩序をどう評価するか、という問題が依然として残るだろう(この意味で最近出た下斗米伸夫『アジア冷戦史』中公新書、はあくまで東側からの記述に偏ったものだが貴重な試みだといえる)。
 ただ、そういった点も含めて、近代移行の東アジアにおける地域秩序の連続性・不連続性に注目しながらいろいろ新たな問題点を出していくことで、件の「東アジア共同体」のあり方をめぐっても、「アメリカか中国か」といった不毛な対立から免れた、少しは現実的な議論ができるのではないか、というのが下記のシンポジウムの企画者サイドの意図の一つである。

 あとは、当日の議論の高まりに期待することにしよう。