梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

『理大囲城』と「公平な観察者」について

genron.co.jp

 先日刊行された『ゲンロン12』の東浩紀氏(以下敬称略)の論考「訂正可能性の哲学」を読んだ。これで、ゲンロン10から3号分の彼の長編評論を、比較的短期間のうちに読んだことになる。もちろん扱っているテーマは異なるのだが、そこに一貫する姿勢として、「中途半端な立場」からの社会へのコミットメントをどう倫理的に肯定するか、という課題が繊細な言葉で語られているように感じた。

 僕はこれまでにも東の主な著作は読んでいたし、自分の書いたものにもしばしば引用はしてきたのだが、熱心な読者かというと必ずしもそうではなかった。『観光客の哲学』も出た時に読んでそれなりに面白い、と感じたものの、特に自分の仕事に結びつけて深く読み込むということはせず、そのままになっていた。

 それが、ここしばらく、強い関心を持って読むようになったのは、やはり、中国研究を取り巻く状況がこの2,3年の間にそれまでとは大きく変わってしまったことと大きく関係している。

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いただきもの

www.utp.or.jp

 著者の倉田徹さんよりご恵投いただきました。香港政治研究の第一人者による、香港情勢に関する包括的かつ重厚な考察です。

str.toyokeizai.net

  監訳者の山下範久さんよりご恵投いただきました。
 資本主義を「安価な自然」からの収奪の体系とみなし、環境破壊と労働搾取の深刻化に警鐘を鳴らす問題提起の書です。

いただきもの

www.shogakukan.co.jp

東京工業大学附属科学技術高等学校で行った授業をもとに大幅加筆したという池上彰さんの「世界の見方」シリーズ、中国の改訂版です。後半ではデジタル大国化に関する監視テクノロジーなど、『幸福な監視国家・中国』と重なるような話題も多数盛り込まれています。

いただきもの

www.shinchosha.co.jp

版元よりご恵投いただきました。リー・クアンユー李登輝ブトロス・ガリアンジェイ・ワイダオルハン・パムクら世界の政治家や知識人にインタビューし、それぞれの国が抱えた近代の葛藤と日本への特別な思いに迫った1冊です。

www.shobunsha.co.jp

著者の綿野さんにご恵投いただきました。前著の『「差別はいけない」とみんないうけれど。』に引き続き、進化心理学認知科学の知見を用いながら現在の「対立と混乱の図式」を読み解いた待望の1冊です。

kaikaji.hatenablog.com

パラリンピック開会式と、ウォーリー木下さんのこと

sports.nhk.or.jp

news.yahoo.co.jp

 パラリンピックが終わってからから、早いものでもう一週間になる。すでに多くの人が語っているように、パラオリンピック開会式(および閉会式)は、オリンピックの開会式よりも、はるかに「よかった」。そしてそれは、当初開催について批判もあったパラリンピック全体への、事後的な高い評価にもつながっているように思う。
 では、パラリンピックの開会式はどこが「よかった」のだろうか。

  オリンピックの開会式と異なり、統一感があった。多様性の重視、というメッセージがダイレクトに伝わってきた。また、エライ人たちからの余計な横やりがなく、クリエーターの「遊び心」がのびのびと発揮できた、など、すでにいろいろなことが言われている。首都圏を中心としたデルタ株の感染拡大がピークアウトしつつあったことの効果もあったかもしれない。だが、一番重要だったのは、久しぶりに、まっすぐでポジティブなメッセージが、公式な場で発せられたからではないだろうか。

 特にオリンピック前にはTwitterなどで日々繰り広げられるネガティブな言葉の応酬に、うんざりしていた人は多いはずだ。確かにオリンピックの競技始まってからは、開始前のゴタゴタはすっかり忘れられ、メダルラッシュに沸いた、つまり、社会にポジティブな気分があふれた、ように見えるかもしれない。しかし、それは言ってみれば、頭では決して納得していないのだが、多くの人々が、ある種の強い感情を喚起する映像を見せられ、いわば身体レベルで「無理やり感動させられている」ような、深刻な分裂状態におかれたのに過ぎなかった。
 僕は原則NHKしか見ない人間なのだが、オリンピック期間のNHKの報道の「分裂」ぶりは特にひどかった。コロナ関連の「危機」を強調する報道と、オリンピックの「感動」を伝えるはず報道とが、いきなり頻繁に切り替わるうえに、両者の落差をどう受け止めればいいのか、それらを統合するためのメッセージが画面を通じて伝えられることもほとんどなかった。本来なら政治家がその仕事を果たすべきなのだろうが、それから間もなく辞意を表明することになる現首相には、いうまでもなくその能力が絶望的に欠けていた。

 だから、パラオリンピックの開会式で発せられた「困難を抱えながら夢を追求する人たちのさまざまな生き方を肯定し、応援しよう」という、政治家やメディアから聞くことのできなかったシンプルで力強いメッセージが多くの人の心に響いた、ということはあるだろう。

 だが、僕にとっては、それ以上にこの開会式は特別な意味を持つものだった。演出のウォーリー木下氏が、神戸大学の演劇部「自由劇場」に同じ年に入部した仲間だったからだ。

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