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いただきもの

現代世界における意思決定と合理性

現代世界における意思決定と合理性

 以前、サンスティーン=セイラ―の『実践 行動経済学』についてブログ記事を書いたことがあるからでしょうか?版元にご恵投いただきました。以下は太田出版の紹介ページより。

 本書は、著者スタノヴィッチが自身の学問的・思想的営みの核心に据えている「合理性」の概念を、心理学の学生向け教科書として簡潔かつ平易に解説した書物である。
 本書によれば、合理性とは単なる論理的に正確な思考を進める働きではなく、人間各自が「何が真理であり、何をなすべきか」を把握するという、きわめて実践的な働きを捉える概念である。このような認識から本書はまず、合理性を適切に導くための形式的な規範がすでに詳しく整備されていることを示す。
 しかしながら、1970年代に創始された〈ヒューリスティクスとバイアス研究プログラム〉と呼ばれる認知心理学の研究は、現実の人間がこれらの合理的規範に対して、多くの点で系統的な違反を繰り返す存在であることを明らかにしてきた。本書の前半は、このような現実の人間の系統的な認知的誤り、すなわちバイアスのさまざまな形態を、そこで違反されるさまざまな合理的規範と共に、詳しく解説することにあてられる。
 次に本書は〈ヒューリスティクスとバイアス〉研究がもたらした〈合理性大論争〉と呼ばれる論争をとりあげる。はたして人間は合理的な存在なのか、合理的規範への不合理な違反を常態とする存在なのかがそこでの争点である。
 著者はこの論争を、「改善主義者」と「パングロス主義者」の二陣営の争いとして整理する。「改善主義」は〈ヒューリスティクスとバイアス〉研究の立場であり、現実の人間の不合理性を受け入れた上で、人間は合理性の形式的規範を学び、より合理的な存在に改善される可能性に開かれていると考える。
 他方の「パングロス主義」は、人間はあるがままで合理的な存在であるとし、改善の余地も必要も認めない。本書中盤では、現代の進化心理学を中心に提出されている、〈ヒューリスティクスとバイアス〉研究に向けられた批判と代替解釈の解説がなされ、後半では、これらの批判を受け、「二重過程理論」と呼ばれるモデルにもとづき、二つの立場の調停が提唱される。
 それによれば人間の心ないし脳には「タイプ1処理」と呼ばれる、さまざまな状況に最適化された無数の認知装置があり、それぞれが、硬直しているがその分素早い演算を担う。しかしこの種の処理は必ずしも形式的な合理的規範に従って動作するわけではなく、これが〈ヒューリスティクスとバイアス〉研究が見いだした不合理な意思決定の源になる。とりわけ複雑化した現代社会では、この種の処理だけに意思決定を委ねることは不合理な選択を生み出しやすく、これは大きな問題である。
 しかし人間の心ないし脳には「タイプ2処理」または「分析的処理」と呼ばれる機能もあり、タイプ1処理を抑止し、時間をかけて合理的規範にかなった選択を選び取ることが可能である。ここから著者は、〈合理性大論争〉の2つの陣営の間の論争は、いわば「図と地の反転」のような様相を呈するものと解されるという見方を提起する。
 最後に本書は、本書がこれまで人間の合理性の規範として依拠してきた「道具的合理性」の限界に触れ、それを批判的に吟味できる「メタ合理性」の必要性と可能性についても、1つの章を割いて論じている。