梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

人民元の切り下げをどうみるか。


 さて、ここにきて世界の関心を集めているこの件について。

「人民元、連日の切り下げ 習政権の政策転換鮮明に」日経新聞8月12日付より。

 中国人民銀行中央銀行)は12日、対ドルの為替レートの目安となる基準値を前日より1.6%引き下げた。2%近く下げた11日に続く措置で、人民元相場は一時、約4年ぶりの安値水準をつけた。一定の範囲内で緩やかな元高の方向へ動く管理変動制を2005年7月に採用してから、ここまで急激な元安誘導は初めてだ。
 12日はアジア株が全面安となったほか、欧州でドイツのDAX指数が約3%下落し、米国ではダウ工業株30種平均が一時300ドル近く下げた。
 今の世界の市場心理を象徴する銘柄が、12日の東京株式市場にある。JFEホールディングスだ。株価の下落率は日経平均株価(1.6%)を大きく上回る7%に達し、年初来安値を更新した。同社は「中国関連株」だ。鋼材の大消費国である中国の景気減速で鋼材市況も低迷し、7月に今期の業績予想の下方修正に追い込まれた。


 このところほぼ一定水準で推移してきた元ドルレートを維持するために通貨当局が持続的な元買いドル売り介入を繰り返しており、そのことが金利の引き下げなどを通じた景気刺激策の足を引っ張ってきた、という認識は今回の切り下げに理解を示したIMFを始め、広く共有されていた。以下は未刊のある月刊誌に寄稿した原稿の一部だが、これを読んで頂ければ今回の切り下げの背景についてある程度理解して頂けるのではないかと思う。

しかしそこで気になるのが、当局がこのところ為替レートの減価を防ぐために、一貫して元買い介入を行っている点である。この1年ほど、人民元の対ドルレートはほぼ1ドル=6.1元から6.2元台で推移してきた。しかし、対ドルの先物レートは2014年末から大きく下落し、1ドル=6.3元台の後半から6.4元台を推移してきた。スポットレートと先物レートの乖離が拡がりつつあることは、市場に強い元安圧力があるにもかかわらず、当局が元買い介入を行うことによって為替の減価を防いでいることを意味する。
しかし、債務デフレの発生により、国内需要の落ち込みが生じている状況のもとでは、このような介入は本来望ましくない。元の下落を食い止めるために元買い介入を行うことは、市中から元を引き上げる引き締め効果を持ってしまい、デフレ脱却のための金融緩和を相殺する効果を持つからだ。
AIIBの設立やシルクロード基金を通じた資本輸出によってアジアにおけるインフラ建設を進めると同時に人民元の国際化を目指す中国政府としては、現時点での大幅な元の減価は避けたい、ということなのかもしれない。しかし、そのために国内経済が「デフレの罠」に陥っては本末転倒である。

 繰り返しになるが、これまでの中国当局の為替政策が問題だったのは、元の実効為替レートがやや過大評価気味であり、純輸出の伸びに抑制的に働いていたから、だけではない(その点も大きいが)。より大きな問題は金融政策において元ドルレートが事実上の名目アンカーとして働いており、金利引き下げや量的緩和などの金融緩和政策を無効化する働きを持っていたことである。すなわち、市場に大きな元売り圧力が働いている下で、人民銀行は対ドルレートを維持するために大規模な元買い介入を繰り返してきた。このことは昨今話題になっていた外貨準備の大幅な減少をもたらすだけでなく、国内に流通する元の持続的な回収を意味するので、金利引き下げなどの金融緩和政策を相殺する働きを持つからだ。

 この意味では、今回の人民元の基準値引き下げによる元安容認の方針転換は基本的に政策の舵を望ましい方に切ったようにみえる。しかし、問題はそう単純ではない。以下の図はここ数年のスポットおよび先物レートの動向を示したものである(データ出所はCEIC)。

 一番右側のグラフが立っている部分が今回の切り下げの「ショック」を示したものである。8月11日および12日の連続の切り下げにより、元の対ドルスポットレートは約3%下落した。この下落した水準は実はこれまで先物レートが推移していたのとほぼ同じ水準にほかならない。つまり当局としては、このままスポットレートと先物レート(為替の期待水準)の乖離が続くかぎり元を買い支えて国内経済にデフレ圧力を加えなければならないので、それに歯止めをかけるために、「期待水準」である先物レートの水準に近づけるような切り下げを行ったものと思われる。
 これで、市場の期待水準とスポットレートが一致すれば、メデタシ、メデタシとなるところだが、そうは問屋が卸さない。図を見れば明らかなように、スポットレートの元の減価にちょうど合せるように先物レートも大幅な減価をみせているからだ。
 つまりこれまで先物レートとスポットレートが乖離している間、投機筋は将来の元切り下げを見込んで元売りドル買いを続け、今回の切り下げで莫大な利益を得たはずである。今回の先物レートの減価は、そのような投機筋が「二匹目のドジョウ」を狙っていることを意味する。そして、当局が基準値を切り下げ、その水準を維持しようとしても、そのように投機筋がドル買いのポジションを続け、スポットレートと先物レートの乖離が続く限り、当局はデフレ的な元買い介入を続けなければならないことになる。

 もともと元が他通貨に対してフロートしており、市場の圧力に対して柔軟に変化するようならばこのような事態は避けられたはずだが、管理相場制を採用している以上、このような問題はどうしてもつきまとってくると言える。

 かといってここで一気に外国為替取引を自由化してしまうと為替レートがオーバーシュートして元の下落に歯止めがかからなくなるリスクもあり、あまり現実的ではないだろう。中国の通貨当局としては、デフレ的な元買い介入を避けつつ、誘導しようとしている為替レートの水準が合理的かつ持続的なものであるということを市場に「信認」させるようなコミットメントを行っていかなければならない。しかし、先般以来の露骨な株価維持政策ですっかり「反マーケット・フレンドリー」なイメージが貼り付いてしまった中国当局にとって、それは極めて厳しい試練の道とならざるを得ないだろう。

※図を一部修正しました(10月12日)