梶ピエールのブログ

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日本は果たして中国化するのか?−足立啓二著『明清中国の経済構造』を読む(前)−

 ここ1,2年、中国は独自の発展モデルを持っているとか、ワシントンコンセンサスから北京コンセンサスだとか、いや中国を初めとしてこれからは国家資本主義の時代だとかいった議論がかまびすしい。しかし、本書はそのようなその時々の情勢に影響された時論や、あるいは現政権の正当性を追認するだけような底の浅い議論が吹っ飛んでしまうような重量級の実証研究である。

汲古叢書99 明清中国の経済構造

汲古叢書99 明清中国の経済構造

 著者の足立氏はよく知られるように、1998年に出版された『専制国家史論―中国史から世界史へ (叢書 歴史学と現在)』が話題となった際に、西尾幹二氏や坂本多加雄氏といった人々−端的に言えば「新しい歴史教科書をつくる会」関係の人々−にその議論が積極的に評価される、ということがあった。それは、足立氏の議論が、端的に言えば、梅棹忠夫氏の生態史観のように封建制を持った西洋と日本、それを持たなかった大陸アジア、という前近代に関する二分法から、「近代化に成功した日本」「それに失敗した中国」という近現代以降の歴史に関する二分法を導くための「権威づけ」の一つとされたのである。

 足立氏はきわめて謹厳な実証史家であり、ジャーナリスティックの場で自らの学説に関する誤解をとくような発言をほとんどされなかった、と記憶している。しかし、本書に収められた実証的な論文−その多くが『専制国家史論』発表以前に書かれている−を読めば氏の言説を「中国停滞論」あるいはその傾向をもつ議論であるという見解が、単に物事の一面しか見ない、偏ったものであることが自ずから明らかになるだろう。

 さて本書は、四部構成からなる。目次・構成については以下の汲古書院のウェブサイトを参照のこと。
http://www.kyuko.asia/book/b99769.html

 第一部「中国封建制論の克服」は、「伝統中国に封建制があった」という一時期戦後の歴史学界で支配的だった諸説への徹底的な批判である。上でも触れたが、なぜ中国における「封建制」の存在がそんなに問題となってきたのか、少し説明が必要かも知れない。一つには、マルクス主義の影響の強かった戦後の歴史学の中で、原始共産制奴隷制封建制→資本制→社会主義へと進化していく段階論的な「世界史の基本法則」を、日本や中国のようなアジア社会にも見いだすことが重要な課題とされてきた、という事情がある。一方、マルクス主義の対抗イデオロギーであったはずの「近代化」論の方も、資本制の先に社会主義が来ることを認めなかっただけで、封建制の基礎の上に資本主義社会が発展するという段階論的な歴史観については、実はマルクス主義の側と認識をほぼ同じくしていた。いずれにせよ、このような段階論的な歴史観によってアヘン戦争以降中華民国期までの中国社会は「半植民半封建」の一言で片付けられることになった。しかし、このような硬直的な当てはめを中国社会に行うことにより、さまざまな弊害が生じてきたことは周知の通りである。また、「解放」前のチベットを「封建農奴制」と規定し、その暗黒面を強調する、といった形で現在もその「弊害」の名残は続いている。

 このような段階論に対し、足立氏が提唱するのが、「専制国家」を中国の国家・社会の特徴として封建社会に対置させることである。簡単にまとめると、領域内の私的な土地所有に基づく勢力が、常に国家権力と緊張関係にあり、国家とは独立した形で公共サービスの提供などの「自治」を行うというのが封建社会の基本的な性質である。それに対し、国家が唯一の権力基盤ならびに公共サービスの担い手としてそびえたち、基本的にそれに対抗するような団体や権力が社会の中に形成されない、というのが専制国家の特徴ということになる。このような軸に基づき日本と中国を対比させる視点は、昨年にベストセラーになった與那覇潤氏の『中国化する日本』でも強調されていた点なので、読んだ人には頭に入りやすいかも知れない。
 「つくる会」系の人々はここのところだけを受け止めて「近代化に成功した日本、失敗した中国」というストーリーを組み立てていったわけだ。だが、足立氏の描いた「専制国家」としての中国は、そのような近代化に失敗し続ける、停滞を運命づけられたものだったのか?むろん、そんなはずはない。


 第二部「小経営農業の発展」では、第一部で展開された、明清社会を専制国家社会とみたうえで、そこで見られた小経営農業(小農)の自立的発展をみたものである。足立氏の専制国家論が広く読まれた時、それが小農社会論についての丹念な実証研究の上に築かれたものだということが見過ごされがちであった。しかし、この点に関するファクトファインディングを抜きにして足立氏の専制国家史論を語るわけにはいかない。この第二部における重要なインプリケーションは、比較的な小規模な家族経営農家の自律的な発展が明清期において持続的にみられたことを実証的に示すことによって、この時期の中国社会では生産力の向上の結果、農民間の階層分化が進み、封建的な「地主制」の形成が進んだ、という「定説」を覆すという点にあるといっていいだろう。

 たとえば、斎藤修氏などが強調しているように、このような自立的な小農の発展は、分業による生産性の持続的な上昇をもたらす、「スミス的成長」の基礎となる存在である。商品作物の栽培や農業技術の向上だけでなく、分業や農村内の在来産業の発展も、このような小経営農業の発展がなければ存在し得なかった、といってよい。そして、本書が明らかにしているように、商品経済の農村への進展は日本と比べてかなり遅れてはいたけれど、明代から清代にかけての中国には明らかにそのような小経営農業の発展が見られた。この点からみても、伝統中国を「マルサスの罠」から抜け出せない停滞した社会としてみることは大きな誤りなのである。
 さて、この様な小農社会の発展に関する実証的な知見こそが、足立氏の専制国家史論をいわゆる「中国停滞論」とを明確に隔てるものであるといってよい。それ故に、つくる会系の人々があえてこの点をスルーしたのはまあ当然として、「宋代の中国はすごかった説(=裏返しの明清停滞論)」を採用している多くの歴史家たち(マディソン、エリック・ジョーンズ、マクニール、そして與那覇潤)にも、このような明清期の農業発展がもつ意義はほとんど共有されていない。が、まさにそれゆえに、この小経営農業の発展に関する指摘こそ、足立氏の専制国家史論の絶対に外せないコアの部分である、といっても過言ではないだろう。(続く)。