梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

見えない自由が欲しくて

 私は行けないのですが、1月23日に東京のほうでこういうイベントがあるようです。

緊急集会「天安門事件と08憲章を考える」

中国の裁判所が09年12月25日、文学者劉暁波氏に懲役11年の厳刑を言い渡したと日本の新聞は報じた。彼は中国の民主化を求める08憲章の起草者の一人であり、署名者であった。だが中国におけるこの憲章の署名者はすでに一万人をこえている。ではなぜ劉暁波氏にだけ懲役11年の刑が言い渡されるのか。それは彼が天安門事件の犠牲者たちの証人であり続けているからである。その彼が08憲章の起草者の一人であり、署名者でもあるからである。いま中国ではこれが11年の刑に処せられる犯罪なのだ。私たちは耳を塞ぎ、目を覆わないでこの事実を見よう。私たちはこの事実から逃げてはいけない。この事実を隠して求められる日中の友好とは偽りのものである。それは中国の民主化を妨げるだけではなく、己れの民主主義をも危うくするものである。天安門事件08憲章をともに考えよう。

  □日時 2010年1月23日(土) 13:00〜17:30
  □会場 早稲田大学11号館6階604教室
  □講演
     開会の挨拶として─民の自立について         高橋順一
     劉暁波とはだれか                      劉燕子
     08憲章と中国知識人                    及川淳子
     中国の民主化なくして日本の民主主義はない     子安宣邦
□質疑 
  □会費 500円                                 

 さて、この趣旨文およびその下に掲載された文章を見ても、「08憲章」の発表後、子安宣邦氏が中国の民主化運動への積極的なコミットメントを行うようになったことがうかがえる。その経緯については、昨年末に出版された以下の書物に納められた二編の子安氏の文章に、より明確な形でつづられている。

天安門事件から「08憲章」へ 〔中国民主化のための闘いと希望〕

天安門事件から「08憲章」へ 〔中国民主化のための闘いと希望〕

 以前、子安氏の日本および中国を中心とするアジアの知的状況に対する発言に対し、批判的に言及したことがあった。その時受けた印象からすると、当時の子安氏の姿勢と、今回の中国の民主化運動に対するコミットメントとの間にはかなり大きな思想的「転回」があったことは明らかであるが、本書に掲載された文章においてそのあたりの心情が率直につづられている。

 子安氏がすでに功なり名を遂げた「大家」であることを思えば、その思想的誠実さには確かに胸をうたれずにはおれない。ただ、それらの文章を読むとき、やはり若干の違和感を覚えたのも事実である。それは、彼の中国民主化運動へのコミットメントが、「経済開発こそが根源的な悪である」という価値観とセットになっているらしい、という点に関するものである。

 この違和感はまたあらためて言葉にしたいが、とりあえず現代中国における自由・民主といった「普遍的な価値」を追求する知識人の運動が、しばしば経済の論理(アーレントの言う「社会問題」)を軽視しがちな点に関して、過去のエントリを引用しておく。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20071220/p1より

 ただ、本書全体を貫く張り詰めたような美しさに心打たれながら読み終えたとき、一つの大きな「欠落」にも気がつかざるを得ない。それは、本書の登場人物は例外なく経済オンチだということだ。彼(女)らが語る「自由」の中で経済活動の自由の占める位置は恐らくごくごく小さなものでしかない。まあ、そういったものを追い求めた人々は国民党サイドに行ったはずなので当然といえば当然なのだが。このことと彼(女)らの追求した「自由」が結局のところ悲劇で終わらざるを得なかったことは、決して無関係ではないように思う。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080208/p1より

 CITICや四通公司など、いくつかの大企業が学生達を支持していたというエピソードはこの意味で象徴的である。趙紫陽は、このような保守派の「経済失政」への民衆の失望を背景に、民主化運動に柔軟姿勢で対応し解決するという処方箋を示すことで、強硬一本やりの保守派から主導権を奪い返そうとする最後の権力闘争を挑み、そして敗れたのである。
 このことから分かるように、この時期の中国には「民主とビジネス」のつかの間の蜜月ともいうべき状況が存在していた。いうまでもなく、両者の間に決定的な楔を打ち込んだ人物こそトウ小平である。その楔は現在にいたるまで打ち込まれたままだ。