梶ピエールのブログ

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「天皇に「私(わたくし)」なし」という神話

 少し前のことになるが、事実上胡錦濤国家主席の後継者と目されている習近平国家副主席が訪問し、天皇との会見を行ったことが、天皇が外国要人と会見する際に通常適用される「1か月ルール」に従っていなかったとして物議を醸した。この事件はいくつかの点で非常に重要な意味を持っていると思うので、ここで改めて考えてみたい。

 まず、目立ったのは産経新聞など右派系のメディアを中心にした、これは党内に権力闘争を抱える習近平天皇の政治利用をしている、けしからん、という論調の批判的な報道であった。
 天皇を政治利用している=礼儀知らず、という習氏への否定的なイメージは、たとえばこの後カンボジアの訪問の際に7月5日のウルムチの騒乱の際に亡命し難民申請を行っていたウイグル人20人の強制送還が行われたとの報道により、さらに強化されたかもしれない。
 確かに、人道的観点からカンボジア政府の決定が責められるべきものであるのはいうまでもないし、習氏の訪問の最後に中国からカンボジアへの多額の経済援助の供与が表明されたことからみても、これが一種の外交的「取引」であったことはほぼ疑いがない。このような「金で政治犯を買う」行為自体、貧困に苦しむ周辺諸国に対する威圧的な外交姿勢と見られても仕方がないものである。

 しかし、このことと習氏の天皇会見に関する問題を混同すべきではない。そもそも、中国の指導者が、カンボジアミャンマーといった国々に対するのと同じような態度で日本に対しても臨んでいると考えるのはあまりに被害者意識が過ぎよう。後述するように「一か月ルール」はそもそも公式なものではない。会談自体に礼儀を欠くような振る舞いがあったわけでもないのに、この件で習氏を非難するのは明らかに筋違いであると思われる。

 そもそも、中国が天皇との会見あるいは訪中を重視するのは天皇を明確に国家元首とみなし、外交並びに国内政治において大きな影響力を持っているという認識を抱いてきたからである。(この点に関しては、城山英巳『中国共産党「天皇工作」秘録 (文春新書)』文春新書、が詳しい)。そもそも国家元首=政治的な存在と認識している以上、天皇との会見が中国政府にとって重要な外交上の意味を持ち、その意味で「政治利用」の対象となるのは当然である。日本の右派勢力は、このような中国政府の天皇重視の姿勢を利用してむしろ天皇の権限を強めるといった「戦略」を持ってもよいはずであるのに、今回のように中国の要人が天皇と会見するというだけでアレルギーを示しヒステリックな反応しかできないのは、愚かというべきか幸いというべきか。


 しかし、より重要なのは、今回の会見に違和感を感じたのは右派勢力だけではない、という点である。いうまでもなく、戦後一貫して「天皇の政治利用」に強い抵抗を示してきたのは、日本の軍事大国化を警戒する左派勢力のほうだったからである。そもそも、天皇国家元首であるということについては、いまだ国民的合意は存在していないはずだ。現に日本共産党などは一貫して天皇の元首化に反対を唱え続けている。その意味で、以下の日本共産党の志位委員長による発言は筋が通っているといえるだろう*1

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-16/2009121602_01_1.htmlより。

こういう国事行為以外の天皇の公的行為については、政治的性格を与えてはならないというのが憲法のさだめるところなのです。そういう憲法の規定から考えると、今回は、日本政府がその問題に関与することによって政治的性格を与えてしまった。これは日本国憲法の精神をたがえたものです。

 もしこれが許されたらどうなるか。たとえば国会の開会式で天皇の発言がおこなわれています。これも国事行為以外の行為です。この発言の内容について、ときの内閣の判断でどういうものでもやれるようになったらたいへんです。これは憲法の原則にかかわる大きな問題が問われているのです。

 すなわち、習氏と天皇の会見は、政権党による天皇の政治利用の匂いが濃厚である、という点で右派だけでなく左派にも「嫌な感じ」を与えた。こう考えると、かつての中国の歴代の指導者は同じ「天皇工作」を行うに当たっても、日本の微妙な国民感情についてもう少し慎重であったような気がする。

 ただ、今回の一連の問題はあくまでも「日本の問題」であり、習氏ならびに中国の側にその本質的な要因があるのではない。そのことはいくら強調してもしすぎることはない。そのことを思い知らせてくれるのが、田畑光永氏による以下のような指摘である。田畑氏は、宮内庁長官がいったん会見を承諾した後、習氏の訪日前にわざわざ記者会見を開いて政府を非難するような態度をとったことが問題をこじらせた原因である、と批判している。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1005.htmlより。

しかし、私が腑に落ちなかったのは、まず宮内庁長官の記者会見が11日に行われたことである。国家の客人である習氏はその後に来るのである。予定されている天皇との会見は本来なら出来なかったものなのだと事前にばらすなどそんな失礼なことは、われわれ市井の民だってお客をもてなすときにはしない。

それから法律でも政令でもない「三十日ルール」なるものを内外に知らせ、習氏の場合、それに抵触するものであったと明らかにしたこと、これ自体ヘンではないか。習氏の場合、要請が遅れたことを宮内庁長官がばらさなければ、誰も知らなかったはずだ。黙っていれば、世人も在京外交団も天皇と習氏の会見は通常の手続きで行われたと思うだろう。にもかかわらず、あえて内規の存在と内規破りが行われたことを天下に知らしめたのはなぜなのか。これまで内規をたてに会見を断られた国や、今後、内規に目をつぶって欲しいと頼んで断られる国は、中国は大事でわが国は大事でないのかと不満を抱くだろう。マイナスこそあれプラスはなにもない。こう考えると、羽毛田信吾なる人物の行動は異常だ。

 田畑氏の指摘は正当なものであろう。だが問題なのは、「宮内庁長官はなにをたくらむ?」という問いに対するその答えである。問題は羽毛田長官個人の資質に帰せられるような問題ではないようにおもわれる。僕がみるところ、彼らがたくらんでいるのは超越的な「「私」なき存在」としての天皇イメージの確立と、それによる権威の強化に他ならない。この「「私」なき存在」としての天皇、およびそれが近代以降の日本という国家において持つ固有の問題点を理解するにあたって有用なのは、三土修平氏による靖国問題に関する以下のような議論である。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20070122/p1より。

なぜ国家神道が「宗教であってないようなもの」とされたか。三土さんは、そこに日本社会の「公」「私」の関係の特殊性を見る。「公がヨーロッパのように絶対的な価値として規定されず、関係主義的に把握される日本では、社会的な権力者にとっての「私」的な領域が、下々のものにとってはそのまま「公」として認識される、という現象が起きる。その究極のものが、天皇こそが日本全体を包み込む「おおやけ」であり、天皇家の存在は「私」にして全国民の「公」になる、というフィクションである。

 そういった構図のもとで、明治神宮伊勢神宮などの神道施設は、天皇家が帰依する「私」的な宗教施設であると同時に、庶民にとっての「公」として、すなわち国民を道徳的・心情的に束ねる装置としても機能することになる。もちろん、最終的に他国との総力戦への道を進むことになった戦前期の日本では、そういう国家神道の「宗教ではない国民道徳」としての側面が最大限に強調され、一種の国民動員装置として機能したわけである。 

 いうまでもなく、「「私」なき存在としての天皇」とは、「社会的な権力者にとっての「私」的な領域が、下々のものにとってはそのまま「公」として認識される」という権力構造のもとに、その「私」的な領域までもが全国民の「公」になる、という特権的な地位をあたえられた存在のことである。「私」的な領域がそのまま「公」的なものとなる、ということは、裏を返せば「私」心を全く持たずに国民のために生活を捧げている崇高な存在=天皇、というイメージを常に惹起させる。そのような天皇イメージが、時の権力による統治のために利用されやすいことはいうまでもない。12月23日の朝から「東洋のBBC」を自称するわが国の公共放送をじっと見ていた人であれば、その意味がよくわかるだろう。


 このような「「私」なき存在としての天皇」の存在を思い知らせるものであったとすれば、宮内庁長官の対応は実に合点がいく。あくまでも一度承諾してから「本当はOKしたくなかった」と難癖をつけるというのがポイントである。すなわち、「本当はOKしたくなかった」という「内幕ばらし」をすることは、天皇の精神的・肉体的な疲労という、「私」的な側面に注意を喚起する上でどうしても必要なステップであったのである。そのことによって、「礼儀知らずの賓客が急に会見を申し込み、「私」的には気が進まないのだが、そのことをおくびにも出さずに(だからそれが表に出るためには近臣が見るに見かねて公表する、という形を取らねばならない)、「公」=国民のために無理をおして臨んだ」という、「私」なき慈悲深い存在としての天皇イメージがアピールできることになる。これが「体調が良くない」と初めから断ったり、何も言わずそのまま承諾したのでは、そうはいかないことに注意してほしい。


 この宮内庁サイドの「たくらみ」が成功したことは、今回の騒動で習近平氏ならびに民主党政権に対する日本国内のイメージが明らかに悪化したことからも明らかである。田畑氏も指摘する通り、一官庁が天皇という位置づけの微妙な存在に関する情報操作をすることで、時の政権への支持が揺らいだり、重要な外交関係が影響を受けるとすればそれはゆゆしきことである。だが、ことの本質は近代天皇制が日本的な「公」と「私」の在り方を体現しているため、本来いかようにも政治利用されやすい存在であるとことからきていることもまた事実である。早い話が、「政治利用するな」という批判によって常に政治利用されてしまうのが天皇という存在なのだ。

 その意味では、中国共産党も、民主党政権も、宮内庁も、日本共産党も「天皇の政治利用」を図ったことでは変わりない。ただ、宮内庁の行った政治利用が最も天皇制の本質を衝いたものであり、それゆえに最も「成功」したのだが、同時に最も警戒すべきものでもある、ということなのではあるまいか。
 このような彼らの「たくらみ」を粉砕し、「「私」なき存在としての天皇」イメージを通じた統治権の簒奪を防ぐ―要は「玉(ギョク)」を握った田吾作どもに好き勝手なことをさせない―ためには、このような近代天皇制の持つ根本的な問題点を繰り返し説き続けていくしかない。それはある意味で「雪かき」のように陳腐であり、やったからといって別に尊敬はされないが、しかし必ず誰かがやらなければならない作業なのだ。

 

中国共産党「天皇工作」秘録 (文春新書)

中国共産党「天皇工作」秘録 (文春新書)

 

靖国問題の原点

靖国問題の原点

*1:それは同時に、かつては同じように統治機構による天皇の政治利用に強固に反対していたにもかかわらず、自分たちが政権の側についたとたんそれをきれいに忘却する旧社会党系の政治家たちの節操のなさを浮き彫りにしよう。