梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

欧米人の眼、中国人の精神

 少し前に、世界ウイグル会議ラビア・カーディル議長のドキュメンタリーの上映に抗議して、メルボルン国際映画祭に招待されていた賈樟柯ジャ・ジャンクー)ら数名の中国人映画監督が出席を拒否する事件があった。

http://dianying.at.webry.info/200908/article_1.htmlより。

東京国際映画祭でも過去に似たようなことがあった。
あの時はブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」が
オープニング上映されるのを知った中国代表団が抗議してきて、
結局来なくなったのだ。
代表団というのは中国の電影局が団を組んででやってくるものなので
一緒に来る予定だった監督や俳優にはどうしようもない。
だけど、確か作品上映自体はされたのではなかったかと思う。

でも、今回は作品上映の撤退だというからひどい。
それも電影局がそう言って来たのではなく
監督自身の意思らしい。
なぜなら、ジャ・ジャンクー自身が映画祭実行委員会に抗議書簡を
送ってきているからだ。
ウイグル世界会議には先だっての新疆での事件で漢民族を沢山
殺した責任があると言って。
監督が政府の代弁をしてどうするんだ?
ウイグル世界会議が新疆のウイグル人を扇動して漢民族を殺傷したと
確信を持って言えるのか? 実に驚きである。
ついに底が割れたな、というのが正直な感想である。

 僕もマダム・チャンさんの意見には全面的に同意する。事件後すぐ彼は、香港の鳳凰テレビに出演して、映画祭をボイコットする理由について喋りまくっていたので、「当局の圧力で、やむなく節をまげて・・」といったものでないことは明らかである。そこに、ラビア議長の入国を許可したことで日本やオーストラリアは「中国人の感情を傷つけた」と述べた、政府高官の発言と同じ次元の、「公定ナショナリズム」への積極的なコミットメント以外のものを見出すことは難しい。

でも、もう少しだけ深読みしてみよう。今回の件の背景として、賈樟柯がおそらく直面していた、中国人映画作家としての深刻なアイデンティティの危機があるのではないだろうか。つまり、最近の彼は、「欧米人の眼」と「中国人の精神」とに引き裂かれながら映画を撮らざるをえない状況に置かれていたのではないか、というのが僕なりの仮説である。



 今年になって日本でも公開された『四川のうた』は、以前も触れたように国際的評価はいざ知らず、個人的にはドキュメンタリーとしてもドラマとしても中途半端で、まったくダメな映画であった。この作品のダメさ加減は、同じ国有企業の解体を扱った王兵の9時間ドキュメンタリー『鉄西区』と比べればはっきりする。

 『鉄西区』が、全編9時間とにかく目の前にあるものをカメラに収めずにはおれない、というパトスに突き動かされた映像で観る者を圧倒するのに対し、前者は、同じような現実を扱っていても「それをどう料理すれば国際的な映画祭で評価されるか?」「どうカットすれば有名女優たちの演技とマッチするか?」「どうすればさすがジャ・ジャンクーといわれるか?」という監督の自意識ばかりが鼻につく。なぜその題材でなければならないのか、という必然性がないのである。厳しい言い方をすれば、「欧米人の眼」を気にするあまり、いわば魂不在のままに作られたのが『四川のうた』という作品だというのが僕の正直な評価である。

 賈のデビュー作は、生まれ故郷の山西省の田舎町、汾陽に生きる若者たちの閉塞した心情を描いた『一瞬の夢』である。このフィルムは、対象も視線も徹底的にローカルなものであったが、グローバル化の波の中でめまぐるしく変わる社会と、そこにうまく乗り切れなくて悶々と日々を過ごす若者、というモチーフ自体は普遍性を持ったものだったので、国際的にも高い評価を受けた。その後彼はしばらく汾陽を題材とした作品を取り続けるが(『プラットホーム』『青い稲妻』)、『世界』あたりから生まれ故郷を離れ、その対象を広げていく。しかしそれは、ローカルなものにこだわり続けることによって世界性を獲得する、という幸福な時代の終わりを意味してもいた。いうまでもなく、その頃から彼の作品に「ナショナルなもの」が介在するようになってきたからである。

 若者の閉塞感・喪失感をスタイリッシュな形で切り取った作品でデビューしたといっても、所詮賈樟柯賈樟柯であり、村上春樹でもウォン・カーウァイでもない。山西省出身の田舎者のアンちゃんに、誰も『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のような映画を期待したりはしない。汾陽を離れて映画を作るようになってからの彼の作品は、「三峡ダムに伴う住民の立ち退き」「国有企業の解体」といった泥臭い「社会問題系」を、しかしスタイリッシュな映像処理と心象描写によって、すなわち「欧米人の眼」で切り口で切り取ったものが主流になっていく。

 しかし、このような社会問題群は、もともと「欧米人の眼」と「中国人の精神」が激しく対立するところでもある。このような社会問題は、中国人にとって「国民の物語」を提供するものでもあるからだ。「欧米人の眼」にかなうものでなければ国際映画祭で高い評価は得られないが、扱うのはあくまでも中国の泥臭い、後進性を表すような題材でなければならない。このような状況の中で、賈が「欧米人の眼」と「中国人の精神」の間で引き裂かれ、「中国人」としての自意識を強く持つようになっていったとしても不思議はない。

 たとえば、三峡ダムの建設とそれに伴う街の水没、住民の移転、といった一連の現象のに関して、「欧米人の眼」からすれば、個人が自分の意思に反する形で生まれ故郷を離れ、移住を強制されることはほとんど絶対的な「悪」であり、そこにほとんど情状酌量の余地はない。しかし、そのような価値観は、「中国人の精神」からすれば必ずしも自明ではない。今考えると、日本でも彼の認知度を高めた『長江哀歌』にはその辺の微妙な葛藤がみられたように思える。しかし、日本を含め海外の観客にはたぶんその辺の葛藤は伝わらなかったようだ。そしてこの作品が国際的に評価され話題になる中で、賈自身はひそかに違和感を抱き続けていたのではないか、というのが僕の推測だ。


 そのような葛藤を抱える中で、起きたのがあのメルボルン映画祭での出来事だったとすればどうか。あそこでとにかく彼は「忘れるな、俺は中国人だ!」と世界に向けて宣言したかったのではないだろうか。上記の鳳凰テレビでのインタビューの際に、「ラビアの作品が上映されるあの映画祭の舞台に立つことは普通の中国人として耐えられないことなんだ」といったことを何度も強調しているのが印象的だ。


 くりかえしになるが、海外で高い評価を受けたアーチストが「欧米人の眼」と「中国人の精神」との間で引き裂かれることによって深刻なアイデンティティの危機を抱え込むことになり、その危うさから逃れるために、自ら公定ナショナリズムへの積極的なコミットメントを表明した、というのが、今回の彼の言動についての僕なりの解釈である。もしこれが正しければ、今後の彼の作品がどういった方向に向かっていくかについても、自ずから答えは出ているような気がする。

  世界からすれば田舎にあたる場所で生まれ育ってきたインテリが、外部に存在する「普遍性」の圧倒的なリアリティに触れたときに、ナショナリズムの問題に突き当たるのはきわめて普遍的な現象である。その意味で、賈樟柯が突き当たった(であろう)問題は決して彼だけのものでもなければ中国人だけのものでもない。しかし、そこで彼が出した答えが、国内の少数民族が必死の思いであげた異議申し立ての声を、封殺する方向に向かうものでしかなかったということには、なんともやり切れない思いを抱かざるを得ない。