梶ピエールのブログ

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エクリチュールの差異

 いつも渋い書籍が紹介されているブログ「ものろぎあ・そりてえる」で、ウイグル問題についての文献がいくつか紹介されている。
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/blaine_kaltman_.html
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6426.html
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6426_1.html

 残念なのは紹介されている日本語の文献でも現在では入手が容易ではないものが多いところだが、その中の『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」は、この問題に関心を持とうとする人ならばまず図書館で取り寄せてでも読む価値のある良質の論考が並んでいる。

 中でも菅原純氏の「翻弄された文字文化─現代ウイグル語の黄昏」は非常に示唆的だった。現代ウイグル語は、カザフ語やウズベク語など、旧ソ連領だった中央アジア諸国で公用語として話されている他のテュルク系言語と極めて近い関係にある。特にウイグル語とウズベク語などは日本の標準語と関西弁程度の違いしかないという話はよく聞く。しかし、他の中央アジア諸国においてはこれらの公用語ラテン文字あるいはキリル文字で表記されるのに対し、現代ウイグル語には改良(「畸形」)アラビア文字が用いられている。
 中央アジア諸国におけるテュルク系諸言語が現在の表記法に落ち着いてきた過程を理解するには、旧ソ連の言語政策についてきちんと勉強することが必要であり、とても今の僕にフォローしきれるものではない。しかし現代ウイグル語の表記について、さしあたって重要なのは次の二点だろう。一つは、中国とソ連の関係が良好な時代はほぼソ連の言語政策に追随する形でキリル文字表記への移行が構想されたものの、中ソの関係が悪化するとそれがあっさり廃棄されて今度はラテン文字への以降が図られるなど、常に国際・国内の政治環境の影響を強く受けてきたこと。そしてもう一つはその結果、例えば文革期に学校教育を受けた世代は現在のアラビア文字で表記されたウイグル語の文書に対して十分なリテラシーを持たないなど、文字文化に関する世代間の継承がうまくいかず、そこに大きな断絶が生じてしまった点である。

 柄谷行人なども語っているように、エクリチュールナショナリズムの問題は深い関係を持つ。このような複雑な文字文化をめぐる環境が、現在のウイグル人民族意識、あるいは中国社会において彼(女)が抱える問題に深い影を投げかけていることは想像に難くない。複雑な問題の一端だけでも理解したいと思われる方には、ぜひ一読をお勧めしたい。