梶ピエールのブログ

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中国との貿易は「格差社会」をもたらすか

 表題のテーマをめぐって、興味深い論争がアメリカの経済学者の間で行われているようだ。

 元ネタであるこの記事によると、「中国との貿易(つまりは経済のグローバル化)は国内格差を拡大させる」という立場の代表的な論客としてあげられているのが誰あろうPaul Krugmanである。彼の最新の Brookings paperによると、1990年代以降の、中国のような低賃金労働の経済との貿易の急激な拡大がアメリカ国内の熟練労働者と単純労働者との賃金差の拡大をもたらし、国内の不平等を拡大させるという主張が展開されているという。この結論自体は国際経済学の標準理論であるストルパー=サミュエルソンの定理からも導かれるもので、むしろ経済学的にはオーソドックスな見解だといってよい。

 こういった見解に対する反論が展開されているのが、Christian Broda と John Romalisによるこの論文である。 ちなみに、この論文については、The Economistのブログ(free exchange)でもその内容が紹介されている。

 僕も論文自体はまだちゃんと読んでないのだが、上記のPortfolioの記事によるまとめを読んだ限りでは、BrodaとRomalisもクルーグマンが指摘するような、貿易を通じて熟練労働と非熟練労働間の賃金格差が拡大する、という効果自体に異論を唱えているわけではない。
 Broda=Romalis論文の重要な論点は二つある。まず一つ目は、上記のような貿易を通じた賃金格差拡大がアメリカ全体の「格差拡大」の要因としてどの程度重要なのか、という点である。そして二つ目は、中国との貿易がもたらすもう一つの効果、すなわち低廉な消費財の輸入による低所得層の生活コストの削減という効果をどう評価するか、という点にかかわるものである。

 第一の論点について、上記記事ではLawrence Katzによる、「途上国との貿易は1979年以降のアメリカにおける熟練労働者と非熟練労働者との間の所得格差拡大の15%ほどしか説明しない」という研究結果が紹介されている。この数字からは、途上国との貿易拡大(すなわちグローバリゼーションの進展)は、アメリカ国内における「格差拡大」のもっとも主要な要因ではない、ということになる。

 Broda=Romalis自身の貢献は第二の論点にかかわるものである。彼らによると中国などの途上国との貿易が進んだ期間(1994年から2005年)において、アメリカのもっとも豊かな10%の層は貧しい10%の層に比べて、年率にして4%も高いインフレ率に直面していたという。同時期において二つの階層の所得格差は名目で年6%拡大しているので、その3分の2がこのインフレ率の違いによって相殺されている、という。そして、インフレ率の違いの約50%は中国などからの低価格の貿易財の輸入によって説明されるという。

 いろいろな点で重要かつ興味深い論争だと思うので今後の議論の深まりに期待したい。日本においても同様な実証研究がでてこないだろうか。