梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

『盲山』


 この作品は、先月中国に行ったときにDVDではなくてVCDを書店で買ってきたものである。このことからも分かるように、この作品は中国国内で上映された、れっきとした当局の検閲済みの作品である。しかしその衝撃度は上映禁止になった作品に勝るとも劣らない。監督の李楊(リー・ヤン)についてはこちらを参照。

 中国における人身売買といえば、昨年明らかになったレンガ工場での児童労働が有名だが、若い女性が誘拐されて風俗店や農村などで働かされるケースも多いといわれている。これは「いい働き口がある」と騙されて誘拐され、ある農村に「嫁」として売られてきた女子大生についての映画である。

 この作品は綿密な取材に基づいてつくられているというだけあって、その描写はリアルである。最も衝撃的なのは、それまでの映像における農村のイメージを徹底的に覆している点だろう。それまで中国映画で描かれる農村というと、『初恋の来た道』とか『山の郵便配達』とかいった「貧しくとも素朴で心優しい人」がおりなすヒューマンドラマというのが定番であった。最近ではそれに、貧しさから子供を学校に行かせることもできず、また都会に出稼ぎにきてはさまざまな差別を受けながら3Kの肉体労働に従事する「かわいそうな農村・農民」というイメージが加わっている、といっていいだろう。

 ところが、この『盲山』で描かれるのは、子孫を残すためならば「人買い」をしても恬として恥じないばかりか、逃げようとすると村中で捕まえて監禁・虐待するという、「野蛮で邪悪な農民」が住む「恐ろしい農村」である。女子大生はある農家に「嫁」として買われてくるが、村人たちはみんなそのことを知って監禁に加担している。その意味では『ドッグ・ヴィル』の村人たちが二コール・キッドマンに対して行った同じように集団でレイプを行っているのと変わらない、といえよう。

 映画を観るものはみな悲惨な境遇におかれた女子大生に感情移入し、その「あいつらは人じゃない」という叫びに共感する。だが、観終わった後、その「共感」が、実は農村からの出稼ぎ労働者を「野蛮で教育がない」として差別する者たちのまなざしと紙一重であることに気づいてはっとすることになる。そもそも、観客が誘拐された女性に「感情移入」するのは彼女が大学を出ており、はっきりした自分の考えを持った「こちら側の人間」だからだ。では、もし彼女がろくに学校も出ておらず、自分の意に反して売られてきたという事実をあきらめて受け入れてしまうような女性だったらどうか。そのような女性にはそれほど「感情移入」できないとしたら、真に恐ろしいのはそのことなのではないだろうか。

 現在、少数民族の問題にやや隠れているが、この人身売買をめぐる問題も中国の人権状況への関心が高まる中でこれまで話題とされてきた。もちろん、そのこと自体は間違っていない。しかし、この映画に描かれるような女性の立場に共感を示し、その「人権」が侵害されている事実に怒りの声をあげることは、とりもなおさず彼女達を集団で監禁した農民たちを「人でなし」とみなす姿勢を必要とする。そこには恐らく無垢な「告発者」の立場は存在しない。この映画は、その厳然たる事実を観客に突きつける、重苦しくも優れた作品である。