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光文社新書雑感

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

この本はタイトルにひかれて購入したのだが、第1章を読んだところでこれは結局社会学精神分析のギョウカイの人向けに書かれた本なんだなと思って投げ出してしまった。というわけで赤間道夫さんによるこの本の評価には大きくうなずいた次第。

全編フランスを中心とした精神分析理論が散りばめられ読みやすくはない。そうした専門用語を外してしまえば,本書の骨格はいたって単純だ。ネオリベラリズムが進行する社会のなかで排除されつつある文化の重要性を主張することだ。

著者によるネオリベラリズム定義は「国家の地位が低下する」(はじめに)ととらえるところにまず特徴がある。市場至上主義とも言い換えられ,ネオリベラリズムが平板にとらえられている。さらに,フランスをつねに意識しているのだろうか,恒常性を再構成すべき日本社会を,「日本には抵抗の拠点となる豊かな言説や社会がない」(30ページ),「政治空間や政治文化が貧困な日本」(48ページ),「『世間的視線』が若者たちを覆い,それに抵抗する文化的力が弱い」(55ページ),「日本の知は輸入学問」(183ページ,293ページ)などと特徴づける。日本社会がこうであるなら,「社会・文化的な言説のレベルを上げ」(59ページ)ることもできなければ,「人間のあり方についての高度な認識を前提とした社会変容が進行すべき」(191ページ)根拠もない絶望的状況になろう。精神分析理論による社会分析が「左翼的な批判の狭さを越えて」(はじめに)いるとは言い難い。

それに比べると、同じ光文社新書だが、終始わかりやすい概念や表現のみを用いて、グローバリゼーションの持つ両義性を鮮やかにあぶりだしているベネディクト・アンダーソンはさすがだと思う。ただ、気になるのは、第二部の編者による解説がアンダーソンの言説をやや単純に図式化しすぎているのではないか、と思える点だ。「貿易よりも言語を!」というメッセージが、本当にアンダーソンの言いたかったことなのだろうか。

 

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)