梶ピエールのブログ

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Tシャツはどこから来たのか?

 最近グローバリズム関係のエントリが多かったので書店で目に付いたこの本をあまり期待せずに購入して読んだのだが・・よい意味で期待に反してとても面白い本だった。

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

 この本のタイトルだけを見ると以前取り上げた中国のビーズ工場のドキュメンタリーと非常に似通った発想によって書かれているように思える。しかし、ドキュメンタリーがビーズの消費者と生産現場という、グローバル経済の連鎖の両端の目に付きやすい部分を図式的に描いているのに対し、この本は、むしろその連鎖の中間、さまざまな労働運動や関税や輸入制限といった貿易政策、およびその政治的な決定過程に注目する。つまり「グローバル経済」を理解しようと思ったら、それを支えている政治力学に目を向けるべきだ、というのが本書を貫くメッセージだ。特に、繊維産業などアメリカの製造業のロビー活動のすさまじさについて話は聞いていても、それが具体的にどのような形で行われるのかはほとんど知らなかっただけに、本書におけるいくつかの指摘は目からウロコが落ちるものだった。

 たとえば、アメリカの綿生産農家は、スティグリッツを初め多くの経済学者によって、手厚い補助金政策によって守られることにより途上国の農作物を駆逐してきたとして常に非難されてきた。しかし、本書を読めば、テキサスを初めとしたアメリカの綿生産農家こそ、長い努力と試行錯誤の末に天候の変動などのリスクからほぼ完全に自分達の生活を守ることに成功した、いわば「理想の農業」を実践している人々だと言うことがわかる。悪名高い農業補助金制度は、実際にはそんな最強のアメリカ農家の「ダメ押し」をしているに過ぎないと著者は指摘する。

 また、これも悪名高いアメリカの繊維業者を保護するための輸入割当措置についての指摘も面白い。かつての日本が、40年前の香港が、そして近年の中国がその標的となってきた。しかし、そういった手厚い保護政策にもかかわらず、アメリカの繊維産業における雇用は一貫して減少をつづけてきた。輸入割当措置は「産業と雇用の保護」と言う点からはほとんど効果はなかったのだ。
 ただ面白いのは、その保護政策が思わぬ副次的効果を生み出していたことだ。例えば主要な繊維製品輸出国からの輸入が制限されることで、そのような制限のない途上国の代替的な輸出が増え、結果的にそれらの国の産業の成長が促進されることになった。また、昨年まで実施されていた中国製品に対する厳しい輸入数量割当の設定により、その割当枠自体が輸入業者の間で高値で市場取引されるという現象を生み出した。その結果生じた巨額のレントが、香港の不動産業者や中国の役人の手へと渡っていったのだった。

 他にも、Tシャツは古着になってはじめて純粋に市場の需給関係によって価格が決定されるのだ、と言う指摘も面白い。もちろん、著者は自由貿易の有益性を十分認識している。しかし、本書の白眉はなんといっても経済学者にはどちらかというと苦手な、貿易にまつわる政治問題の具体的かつ迫力のある記述にある。特に第3部を読むと「衣料品産業は市場競争に対応するよりも、むしろ貿易障壁に適応することによって国際化してきた」というフィナンシャル・タイムズ紙の記事の表現が実に腑に落ちる。

 どうして経済学的に正しい議論が現実にはなかなか受け入れられないのか?と悩んでいる人、このところ中国とアメリカが急速に仲良しになっていることに不安を抱いている人、年末に『ダーウィンの悪夢』を観て衝撃を受けたという人、お正月の読書にぜひどうぞ。