梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

さらにしつこくフェアトレードについて語る(上)。

 山形浩生さんが訳した一連のフェアトレード関係のEconomist掲載記事

スターバックス VS エチオピア
http://cruel.org/economist/economiststarbucks.html
倫理的な食べ物はかえって有害かもしれない。
http://cruel.org/economist/economistgoodfood.html
「買い物かごで投票?」 よりフェアトレードの部分を抜粋
http://cruel.org/economist/economistshopping.html

 については、だいぶ前に目を通していたのだが、ちょっと引っかかっていた点があってなかなかエントリにまとめられなかった。ようやく考えがまとまってきた(ような気がする)ので、忘れないうちに書いておきたい。

 このうちエチオピアの話については、コーヒー豆の商標登録の制度について詳しくないのでいまひとつよくわからず、オーガニックな農産物と環境破壊の話は単純になるほどと思った。というわけでここで問題にしたいのは最後の記事についてだ。特にフェアトレードとレインフォレスト・アライアンスの関係者の意見の相違についてはとても興味深かった。このEconomistの記事はもちろんフェアトレードに対して否定的だが、僕はむしろインタヴューに答えているFLO関係者の経済学的センスに感心してしまった。

 たとえば、記事はフェアトレードが小規模農家(小農)の組合からしか買い付けを行わないことに対して、「政治的な思いこみに基づいている」という批判を行っている。しかし、これは本当だろうか。

 ここで重要なのは同じ途上国の農村であっても、コーヒーが小農によって生産されるのと、大農場で生産されるのとでは経済学的な意味は全く異なる、ということだ。

 以前書いたように、コーヒーの小規模生産に対して「ハウス・ホールド・モデル」を適応するのが妥当ならば、フェアトレードがその支援を小農に限ることには一定の経済学的根拠がある。「ハウス・ホールド・モデル」の含意は、小農の最適行動を考える時には生産者としてだけでなく必ず消費者としての行動も含めて考えなければならない、というところにあった。その結果、価格変化に対して生産が非弾力的になるばかりか、供給曲線が(部分的に)右下がりになる可能さえある、というのは既に論じた通りだ。
 コーヒーの世界価格が低迷を続ける中で、こういった小農に対し一定の価格保証を行えば、確かに過剰生産がある程度緩和される効果が期待される。FLO関係者が語るように、「貧しすぎて転作する余裕がなく、コーヒー生産にしがみつかざるを得ない小規模農家が多数存在する」というのは否定できない事実だろうからだ。

 だが、コーヒーが大規模経営の農園で生産される場合は全く話が異なる。大規模農園で働く農民は基本的に工場労働者と同じで、その賃金は工場労働など他の就労機会に左右される。また大規模農園の経営者の行動を分析する際は工業企業と同じく利潤の最大化だけを考えればよく、小農のケースのように供給関数が右下がりになるということは基本的にはありえない。もしコーヒーの価格が下がりすぎれば経営者は雇用している農業労働者の数を減らして生産を減らすだけだし、価格が上がれば逆に生産を増やすだろう。従って、大規模農園で生産されたコーヒーを市場価格に上乗せした水準で買い取ったりすれば、たとえそれがわずかなものであっても確実に全体の生産量を増加させるだろう。また、価格の上乗せ分が労働者に支払われるという保障もどこにもない。せいぜい経営者にその地域の最低賃金水準を守らせることができるくらいである。

 というわけで大規模農園で働く農民の生活を向上させ・さらに過剰生産を緩和するためには、フェアトレードのような価格保証方式は基本的に無力である。フェアトレードが小規模農家だけを相手にするのは、必ずしも「中間搾取けしからん!」というイデオロギーのせいだけではないのである。

 それに対して、レインフォレスト・アライアンスの活動はどうだろうか。僕なりに理解したところでは、RAの活動とは、生産者の努力を促すことによって、通常のコーヒー豆とは「一味違う」プレミアム・コーヒーという新たな財(とその市場)を作り出し、農家の所得向上とともにコーヒー豆全体の価格が下落することにも一定の歯止めを掛けよう、というものだ。このやり方であれば、フェアトレードとは異なり生産者が小農であろうが大規模農園であろうが有効なはずである。

 というわけで、フェアトレードのような小規模農家への価格保証は、RAが行っているような生産者への技術・信用の供与や品質認証とはむしろ補完的な関係にあるものとして考えたほうがいいのではないだろうか。後者のようなやり方は確かにインセンティヴの面では望ましいが、コーヒーのような価格がグローバルな市場で決定されるような財を生産している小規模農家は、単なる信用の供与だけではカバーできない価格変動のリスクに直面しているのも確かだと思えるからだ。
 
 ・・と、まとめてしまえばお行儀がいいと褒められるのだろうが、ここで気になることがある。どうもEconomistの記事から判断するに、実はRA関係者はフェアトレードの活動に対して批判的な目を向けているようなのだ。これは、どう考えればいいだろうか?(続く)

※できれば以下のエントリもご覧ください。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061123
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061125
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061127