梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

世界のコーヒーの生産量はなぜ減らないのか。


 以下は前二回のエントリの続きです。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061123
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061125

 ・・さて、今まであまり深く考えずに、世界のコーヒー価格が上昇(下落)すれば、コーヒー農家はそれに対して反応し、生産量を増やす(減らす)だろう、ということを前提に議論を行っていたが、果たしてそれは本当に正しいだろうか?

 この点を考えるにあたっては途上国の小農の行動を分析するための標準的な手法である「ハウスホールド・モデル」が有用となるだろう。農家は固定資本と流動資本を投入して利益最大化を図る「企業家」としての側面を持ちながら、同時に消費者として効用最大化を図る存在でもある。この二つの側面を合わせて考えることにより、一見利潤最大化原則とは矛盾するように思える農家の経済行動を合理的に説明しよう、と言うのがハウスホールド・モデルの基本的な含意である*1
 
 例えば、こういう例を考えればよい。自分の土地でコシヒカリを作っている農家があるとしよう。しかしその農家は貧しいので、生産したコシヒカリを全て市場に出荷し、自分達はそれより安い麦飯を市場で購入し主食として食べていたとする。ある時、コシヒカリの市場価格が大きく上昇したとしよう。生産者の利潤最大化行動だけを考えれば、この農家はコシヒカリの生産・販売量を増やすはずである。
 しかし、この農家は、今までは収入が少なかったので安い麦飯しか食べられなかったものの、本来は自分もおいしいコシヒカリを食べたいと言う消費者としての強い欲求を持っていたかもしれない。その場合、生産していた作物の価格が上昇したことによる所得効果により、今までの麦飯からコシヒカリに主食を切り替えるかもしれない。このとき、コシヒカリの自家消費分を引いた市場出荷量はかえって減少する可能性がある。すなわち、こういった農家の一見利潤最大化行動と矛盾するような行動も、その消費者としての側面を考えれば別に非合理的なものではないのである。

 ただし、コーヒー農家の場合を考えると、コーヒー価格が上昇したからといってコーヒーの自己消費を増やすというのはあまり現実的でない。この場合は、いわゆる「非分離型ハウスホールド・モデル」を当てはめたほうが現実的だろう。これは、途上国において、商品化された作物、すなわち「貿易財」のほかに、市場が不完備なため農家が自己消費せざるを得ない財、すなわち多くの「非貿易財」があることに注目したものである。

 僕はコーヒーを生産している農家について具体的なイメージをほとんど持っていないのだが、今仮に、自分が所有している土地でコーヒーを生産しており、そのほかに、家族で消費するための主食や野菜も作っているような農家を考えよう。そしてその地域ではコーヒー以外の作物については市場が十分に発達しておらず、農家は基本的にそれらを自給自足しているものと仮定しよう。

 ここで重要なのは、コーヒー農家はコーヒー生産と自家消費用のその他の農作物との間で労働時間などの資源の配分を行っている、ということである。そして農家が非常に貧しい場合、換金性のない自家消費用の作物の生産をギリギリに抑えて、単価が安くても現金収入をもたらしてくれるコーヒー生産に労働や肥料などの生産要素を最大限投入しているかもしれない。そんな状態で、もしコーヒーの価格が上昇したとする。問題は、このとき農家がさらに労働および肥料など流動資本の投入を増やして、コーヒーの生産を増加させるだろうか、ということだ。
 価格が上昇することにより、今までよりも少ない労働投入量(=生産量)でそれまで得ていたのと同じ現金収入が得られることになる。必要最低限の現金収入さえ得られるならば、農家はより豊かな生活を送るために、あまった労働力をより多くの自家消費作物を生産するために費やすかもしれない*2。すなわち、コーヒーの市場価格が上昇することにより、個別の農家がコーヒー生産をかえって減らすということは十分ありうるように思われる。

 もちろん、ここで早合点してはいけない。これはあくまでも個別の農家の行動の話である。コーヒー産業全体からみれば、コーヒー価格の上昇は新規参入を促し、全体の生産量はやはり増えてしまう可能性が高い。

 しかし、逆のケースはどうか?つまり、現実の世界で起きているように、コーヒーの市場価格がどんどん下がってしまう場合である。この場合、価格が上昇しつつある時とは違い、コーヒー生産からの離脱者が続出するとは考えがたい。転作にはそれなりの固定費用がかかるし、貧しい熱帯の途上国では、さまざまな理由からコーヒーに代替するような現金収入源が存在しない可能性の方が高い。明らかに、コーヒー生産に関する新規参入と離脱の意思決定には非対称性が存在するのだ。

 その場合、価格の低下に対する個別の農家の反応はどうなるだろうか。ここでも、先ほどのハウスホールド・モデルの分析が役に立つ。コーヒー豆単位あたりの価格の低下は、いままでと同じ生産量では家計に必要な現金収入を満たすことができなくなることを意味する。この場合、個別の農家はそれ以外の農作物の生産や余暇を削って、生産要素をコーヒー生産のために投入し、生産量の増加によって必要な現金収入を満たそうとするだろう。これが全ての生産者に当てはまるとすれば(恐らくかなりの場合それは当てはまる)、コーヒーの世界価格が下落すればするほど、世界全体のコーヒー生産量は増えてしまうのである!

 このような、「個々の農家が価格の低下による収入の減少を生産量の増加で埋め合わせようとするので、全体としてますます供給量が増えてしまう」という問題は、世界のコーヒーの過剰生産を止められないもう一つの大きな原因ではないかという気がする。もちろん、それを証明するにはコーヒー農家の詳細の家計データを用いた厳密な実証分析が必要だが。

 いずれにせよ、ハーフォードの「世界の大部分の人が豊かにならないかぎり、コーヒー農家は絶対に豊かにならない」という予言(『まっとうな経済学』330ページ)はかなりの確率で的中するだろう、と言わざるを得ない。もちろん、それはコーヒー農家が非合理的で愚かであるからなどではない。あくまでも個々の農家が所与の条件の下で最大限合理的に振舞った結果としてこういう事態があるのだ。「貧困のサイクル」という言葉は、世界のコーヒー農家のためにあるのかもしれない。

*1:ハウスホールド・モデルの説明は黒崎卓『開発のミクロ経済学ISBN:4000097253。また簡単な説明は黒崎卓・山形辰史『開発経済学ISBN:4535553033

*2:これはミクロ経済学的には、コーヒー価格が上昇したことの所得効果により、農家の自家生産作物への需要が上昇するため、農家の主体均衡におけるこれら作物のシャドープライスが上昇した結果として解釈できる。このほか、所得効果によって消費財としての「余暇」のシャドープライスが上昇するため、全体の労働投入量を減らし余暇を増やす、という効果も考えられる。詳しくは黒崎『開発のミクロ経済学』第1章を参照のこと