梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

『マオ』関連本「読んだつもり」ブックガイド


http://cruel.org/other/rumors.htmlより。

ぼくも、読み始めは同じく「おおすげえ!」と喜んでいたけれど、でも最終的な評価はそれじゃ足りないのだ。「マオ」はいろんな資料をあたってよく調べてあるのは事実だが、問題はそれをもとに何を言っているか、ではないか。それをきちんと広い視点からフェアに評価できるのが、エスタブリッシュメントとしての正統文化であるはずなのに、それをやってくれそうな人もメディアもまったく思いつかない。なんでおれみたいな腰掛けサブカルの端っこの人間が、正統エスタブリッシュメント文化の仕事をかわってやらにゃいかんのだとは思うが、これからぼくが CUT とかで書く書評以上のものがどっかに出てきたら驚く。

 僕の立場からはさすがに「そうそうその通り」ともいえないのだが、山形さんの苛立ちには確かに共感できる点もある。例えば英語圏では、必ずしも専門学術誌ではない媒体に何人もの有力な評者がかなりのボリュームの書評を書いていて、それがこういった形でネットで比較参照できるようにまとめられているが、こういう状況は確かにうらやましいものがある*1

 さて、「正統エスタブリッシュメント」の中でこの本に容赦のないツッコミを加え、さらに文章を誰でも読めるようにネットで公開してくれそうな人というとまず思い浮かぶのは矢吹晋さんなのだが、横浜市大を退官されてからはやはり文章発表のペースがかなり落ちているようだ。ただし、トップページのindexには2000年までの文章しか記されていないが、実際には、URL(http://www25.big.or.jp/~yabuki/my00.htm)の「my00」の箇所を「my01」などとすれば2001年以降の文書も閲覧可能である。

 それはともかく、彼のウェブサイトでは、過去に出版された毛沢東関係の書籍の書評も数多く公開されていて、それらは、過去の書籍において毛沢東はどのように描かれ、またそれらに対して中国ウォッチの専門家はどんなところにツッコミを入れてきたのか、ということを手っ取り早く理解するのに非常に便利な資料となっている。いくら『マオ』を正しく評価するためにはできるだけ多くの関連書籍を読んだほうがいいといっても、専門家でもなければ、毛沢東関連の膨大な文献をたとえ重要なものに限ってもいちいちあたっている余裕もないと思うので、実際に読まなくても大体の「感じ」をつかむための「手抜き」用ブックガイドとして、それらの書評をここにいくつかリストアップしておくことにする。

 下記のリストの中で、特に『マオ』との比較という点で面白いと思うのは6年前に産経新聞社に連載された記事がもとになった『毛沢東秘録』だ。これはいろいろな意味で『マオ』とは対照的な本である。まず、「秘録」と銘打っているが、未公開資料などの類は全く用いられていない。その代わり、中国国内で刊行された文革時代に関する書籍をひたすら収集し、それらの(二次)資料から中国では文革について20世紀の時点で「どこまで語ることが許されるようになったか?何が依然語られていないか? あるいは、何がこれでもかこれでもかと語られているか?を浮かび上がらせる」ことを目的としたものである。つまりそこで描かれているような毛沢東は少なくともすでに中国国内では「神話」ではなくなっている、といっていいだろう。その記述(文革期に限られるが)を、貴重な未公開資料やインタビューに基づいているが第三者がその妥当性を確かめることが困難な『マオ』の記述と比較するのは、それ自体一つの批評行為になるのではないだろうか。
 あと、『マオ』が破壊したとされる、ある時期まで支配的だった毛沢東像について最速で理解するには、藤子不二雄A『劇画毛沢東伝』ISBN:4408612235だろうか。見方によっては単に国民党軍から逃げ回っていただけともいえる「長征」がなぜそんなにも大切な「神話」とされてきたのか、いろいろ本を読んでもなかなか腑に落ちないものがこのマンガを読めば一発でわかる。また現時点での毛沢東の業績についての専門家による標準的な評価を知るためには、天児慧『巨龍の胎動(毛沢東VS訒小平) 』(講談社中国の歴史・第11巻)ISBN:4062740613


矢吹晋氏による毛沢東関連書籍書評リスト(ネットで読めるもの)

『ニュー・エンペラー』ハリソン・E・ソールズベリー著、天児慧監訳、福武文庫ISBN:4828857389
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/ne930523.htm

「ベールを脱ぐ中国現代史」『産経新聞』1994年4月3日「文化」欄
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/sk940403.htm

毛沢東の私生活(上・下)』李志綏著、新庄哲夫訳、文春文庫ISBN:416730970X
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/sk941211.htm

毛沢東最後の女』京夫子著、船山秀夫訳、中公文庫ISBN:4122035384
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc2/so9704a.htm
→これはかなりいい加減な本らしい。

毛沢東秘録(上・中・下)』産経新聞毛沢東秘録」取材班、扶桑社文庫ISBN:4594031005
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc7/mao99129.htm

毛沢東伝(一八九三〜一九四九)上・下』金冲及主編、村田忠禧・黄幸監訳、みすず書房ISBN:4622038064
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc10/toho0103.htm
→中国における決定版伝記。

訒小平・政治的伝記』楊炳章(ベンジャミン・ヤン)著、加藤千洋・優子訳、朝日新聞社ISBN:4022573538
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc7/so991210.htm
→矢吹先生によるとこの本もかなり問題が多いらしい。

Jin Qiu, The Culture of Power: The Lin Biao Incident in the Cultural Revolution, Stanford University Press ISBN:0804735298
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc00-8/jinqiu.htm

*1:この中では例えばアンドリュー・ネイサン氏による批判的な書評「翡翠とプラスチック」などはとても力が入っていて、この本を読むときどのような点に注意して読まなければならないかほぼ述べつくしているようにも思えるので、また改めて紹介したい。