梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

ルイスの二重経済モデルに関する補足

 先日トラックバックしたbewaadさんの日本経済におけるエントリに関する議論がかなり盛り上がっているようだ。

 この話題に関する中国と日本の状況の違いを僕なりにまとめると、一つには「相対的に通貨切り下げ=金融緩和が必要な地域」と「相対的通貨切り上げ=金融引き締め基調で推移したほうがよい地域」の線引きが日本では非常に難しいのに対して、中国では比較的スパッと線が引けそうな点と、あともう一つはコメント欄で議論したように中国が依然として農村に大量の偽装失業を抱えるルイスモデル的発展段階の途上にあるという点だろうか(ルイスモデルについてはHicksianさんよるまとめを参照)。


 ただ、下のエントリのコメント欄の議論では「工業」と「農業」との区別を強調しすぎたかもしれない。ルイスによるオリジナルの議論ではもともと「近代部門」と「伝統部門」という区分が用いられているはずだ。なぜ前者ではなく後者のような区分を行ったほうがよいのかというと、「伝統部門」には属さない「農業」も存在するからだ。例えば上述のbewaadさんのエントリで次のようなコメントをしている方がいた。

なんか懐かしい話を・・・15年ほど前、学園祭でサークルのシンポジウムでやったときに、伊藤隆敏先生か土志田征一先生のどちらかが北海道出身という事で、北海道を通貨独立させて変動相場制にというネタで盛り上がってました。東海地方の製造業と同じレベルで通貨を評価されたらかなわないけど、分離して通貨安にしてもらえば農業立国になれると。

 ここでいう「農業立国」とは、途上国における農村のような偽装失業があふれる世界ではなく、一定の規模の土地にしかるべき資本が投下され、農業労働者の賃金が生産性と一致するような水準に設定される近代的な農場を中心としたものだろう。たとえば、写真のような、カリフォルニアの高級ワイン産地であるナパ(この間遊びに行ってきたところ)のブドウ畑のようなイメージ。
 農業がこのような近代産業化を遂げたものであれば、上記の北海道のケースのように農業に比較優位を持つ地域に独自の通貨が導入され通貨が切り下げられれば、農産品の価格低下による貿易収支の改善と景気回復(失業率の低下)が生じる一方、他地域との交易条件の悪化により(少なくとも一時的には)相対的な所得水準の低下が生じるので、この二つがトレードオフになることを前提とした上で通貨切り下げの是非を論じればいい、ということになるだろうか。

 だが、中国内陸部のように農業が基本的に伝統的部門である地域が沿海部との間で通貨切り下げを行った場合、生活に大きな影響を受けるのはあくまでも都市の近代部門(その多くは工業部門)の労働者であって、農民の生活はほとんど影響を受けないと考えられる。前者が沿海部からの「輸入財」にその消費生活のかなりの部分を依存せざるを得ないのに対して、後者の場合その割合がかなり低いと考えられるからだ。そうすると、後者にとっては通貨が切り下げられた場合むしろ下記のエントリであげたような沿海部からの資本流入による近代部門への吸収のメリットのほうが大きいということになる。
 つまり中国内陸部のようなケースを考えた場合、複数通貨制の導入は伝統部門の労働者(農民)には相対的に有利に働くが、近代部門の労働者(都市の工業労働者)には不利に働くと考えられる(ちなみに、内陸部に対する財政的な資源移転にはこのような非対称性は基本的に存在しない)。逆に、ルイス的発展過程にある国が相対的先進国と通貨統合された場合、近代部門の労働者には相対的に有利に働き、伝統部門の労働者には不利に働くということになるだろう*1

 以上のことは(議論が間違っていなければ、だが)、EUのように少なくともスタート時には先進国ばかりで通貨統合を行うのではなく、域内に伝統部門をかかえる=ルイス的発展途上にある国を含んだ通貨統合の可能性を考える際に、結構重要な点なのではないだろうか。 

*1:ただしこれには、ルイス的発展過程にある国の労働者の通貨統合を行う「先進国」への流出が制限されており、通貨統合された地域の為替レートが「先進国」にとって相対的に有利な水準で設定されている場合、という条件がつく。