梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

反日と反戦をめぐる三題噺。


 実は先週末は金曜の夜から二泊三日で沖縄に遊びに行っていた。この時期沖縄に行くことはバースデー割引が使えるからということでだいぶ前から決めてあったのだが、その行きの飛行機で読んだのが仲俣暁生さんのエントリid:solar:20050407で紹介されていて興味を引かれた丸川哲史『冷戦文化論』ISBN:4902465051 、そして帰りに読んだのが高橋哲哉靖国問題ISBN:4480062327 である。しかし我ながらヴァカンスwの時くらい肩のこらん読書ができんのか、と突っ込みの一つでもいれたくなるが、偶然とはいえ反日で世間が騒がしい時に沖縄に行きついでにこういう本を読むというのは自分的にはなかなか意義深い体験だった。
 というわけで今日は反日、沖縄(反戦)、冷戦という三題噺でいきます。


 さて、僕は1980年代の大阪の公立の学校で小学校から中学校時代を過ごしたのだが、同じような境遇で育った人ならきっとわかってもらえると思うのだが、一言で言うと反戦・人権教育をシャワーのように浴びて空気のように吸って育ってきた、といってよい。「道徳」の時間には解放同盟が製作したテキスト「にんげん」を使って人権学習が行われ、毎年8月6日か9日は必ず近くの解放同盟の施設に「登校」して反戦映画を観ることになっていたし、修学旅行は当然のように広島であり、音楽の時間には教科書に載っていないベトナム反戦歌や「イムジン河」の楽譜を教師がガリ版で刷って教える、といった調子である。ちなみにこれも同じような境遇の人ならわかってもらえるだろうが、その当時私が通っていた中学は冗談ではなく尾崎豊の歌をそのまま現実にしたような状態で、ほとんど毎日どこかの窓ガラスが割られており、授業で何を教えられたかということよりも授業にならない授業が多かったことしか記憶に残っていない。だからよけい反戦・人権教育のことが印象に残っているのかもしれない。

 そういう僕が受けてきた教育については、今は価値判断を行わない。ただ、義務教育の年代であれだけ平和の大切さと戦争(全般)の恐ろしさを徹底して教え込まれたという点では、確かにその力点は異なっていたかも知れないが、例えばドイツの小学生と比べてもそうひけは取っていないのではないかと思うし、ことアジア諸国に限ってみれば間違いなく他の追随を許さないであろう。
 で、何がいいたいかというと、最近の一連の事態を目にするにつけ、戦後世代の多くが、学校教育を通じて徹底して平和の大切さを刷り込まれてきたということが、一般的な中国の青年にはほとんど知られていない(ただし韓国については判断を保留したい)、という事実に、頭では仕方のないことだとわかっていても僕はやはり愕然としてしまうのだ。で、この件に関していろいろなブログを見回してみたけれども、こういった「愕然」感を共有してくれそうなエントリにほとんど出会えず、結構みんな自信たっぷりに語っているように思えることに、今度は若干当惑してもいるのである。変な言い方になるが、この問題についてもう少し「愕然」あるいは「やりきれないなあ」という感覚(ウチダ先生のいう「とほほ感」がこれに近いかもしれないが)から出発する思考があってもよいのではないだろうか。

 周知の通り、僕が空気のように吸って育った戦後平和教育は、現在日本国内でも厳しい状況におかれている。右からは冷戦崩壊後の国際関係において、軍事的要素を無視した外交はありえないという観点から、「非現実的な平和ボケの思想」という批判を受け、一方左の側からは、それが基本的に日本人の被害者としての側面を強調し、アジアへの加害者としての視点を忘れた一国平和主義的なものであるという点が厳しく批判されるようになってきた。戦後の「平和主義の日本」というイメージが、剥き出しの冷戦構造を朝鮮半島や台湾にいわば「押し付ける」形で始めて成立した、基本的にぬるくてお気楽なものであった、という丸川哲史氏の主張はその典型的なものであろう(こういった反戦の立場における「戦後民主主義」的な視点からポストコロニアル的な視点へのシフト、という状況に対する違和感の表明については、http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/mmurase/janome/jyanome21.htm http://plaza.rakuten.co.jp/isanotiratira/diary/2005-02-12/など参照)。


 小熊英二氏の指摘を待つまでもなく、もともと戦後の平和運動は「われわれ」を戦争へと駆り立てた邪悪なものから「われわれ」の暮らしを守ろう、という愛国主義的な契機から出発しており、冷戦構造の影響もあって戦争被害国への「アピール」は二次的な意味しか持たなかった。そういった被害国への「呼びかけ」が行われる際にも、相手を「他者」としてとらえ「自分達の立場」をわかってもらおうと言葉を尽くして「対話」を試みるのではなく、「連帯して日本の軍国主義化を防ぎましょう」といった、相手を無条件に自分と同じ立場に立ちうるものと仮定するようなナイーブな態度を往々にして取りがちだった。それが、上で述べたような素朴な平和主義という立場自体の危機と言う状況を受けて、これまで日本がそれなりに真剣取り組んできた平和への取り組みはますます他国(中国・韓国だけではない)にアピールしないものになってきている。
 その結果、今回の反日デモを受けて「戦後日本は一貫して平和主義だった(=軍国主義化しているなんてとんでもない)」という主張が、現実にはそういった平和主義に対し現実主義の視点から常にシニカルに批判していたはずの保守派陣営の政治家や論客から提出され、近年の日本の右傾化を批判する勢力がそれを否定する、という倒錯した事態も生じている。

 だからといって誤解しないでもらいたいのだが、僕はここでもう一度素朴な戦後平和主義を復権させよ、と主張したいわけではない。*1ただ、次の点は指摘しておきたい。僕自身は、上記のような戦後平和主義への左右からの批判はいずれもそれなりに根拠のあるものである、と考えている。しかし、そういった左右どちらからの批判も、戦後日本のある時期において、平和主義がある程度の実態と意味を伴うものだったいうことは認識として共有されているはずだ。
 しかし、すでに述べたように中国の多くの青年達にはその前提が全く共有されていない。かなりの確信を持っていえるが、ほとんどの反日青年は日本の平和教育への取り組み自体を今のところ全く知らないし知ろうともしていないのだ。そういった前提を共有しない「他者」に対峙するのに、素朴な「平和主義」の否定、という点では一致する左右のイデオロギーをそのままぶつけるとどういうことになるか。そういった問題意識が左右双方の側にもう少し共有されてもいいのではないか、と個人的には感じている。

 そういう意味で、今回の反日デモは、そういったこれまで日本が「平和主義」をどう他国に向けてアピールしていけばよいのか、をめぐるアポリアを明らかにしたという側面もあるのではないかと思う。そのアポリアからどのように考えていけばよいか、ということの見通しは僕にもないが、少し前のおおやさんのエントリにあった「他者」への対峙をめぐる考察が少しヒントを与えてくれそうな気がしている
 ・・というわけで、最後の方は論理展開がかなり怪しくなったことでもあり、この続きはしばらく間を置いた上でもう一度考えてみたい。

*1:ただし、大塚英志氏のようにあえてその立場を引き受けようという戦略自体には大きな意味があると考えている。