梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

悪戦苦闘の日々

  今日は1回生の入門ゼミの日だった。このゼミは今年から導入されたもので、入ったばかりの学生をお守りさせるために教師の専門分野などにはお構いなしに学籍番号順に強制的に割り当てて指導させ、しかもその指導の内容について(専門科目への興味をかきたてればいいのか、教養教育をやればいいのか、それともノートの取り方から教えるのか)明確な方針が示されないという、まあ他大学もやっているからウチも真似しましたみたい、あまり理念の感じられないカリキュラムである。で、それならこっちも勝手にやらしてもらいますよ、ということで活字の本を読ませて議論する、などということは初めからあきらめ、ひたすら映画やビデオを見せてその感想を書かせるという方針で授業を進めている。
 で、ここ数回は北朝鮮と南北問題を考えましょうということで(なんか専門でもないのに半島の事ばかり追いかけているようだがその前にはちゃんと中国経済に関するビデオも見せたりしているのでご安心を)去年BSで放送された石丸次郎さんのビデオドキュメンタリーと『JSA』を続けて見せ、今日はそれぞれの感想を踏まえての討論を行うという予定にしていた。

 しかし結果は…やはり盛り上がらなかった。まあ映像について何か意見を言わせるなら見せたすぐ後にやらないと忘れてしまうとか、こちらのやりかたに反省すべき点は多々あるだろう。しかし半分愚痴になってしまうが、やっぱり「南北朝鮮が分断する前の状態はどうなっていたか」と聞かれて「独立した一つの国でした」と答えるとか、「やっぱり金正日政権がよくないので戦争を仕掛けてまず政権を倒したほうがいいと思います」とか平気で答える学生たちに一体何を議論させればいいのか、頭を抱え込んでしまう。これって単に偏差値が低いとか勉強が嫌いとかいうレベルの問題ではないと思う。例えば僕自身の経験をいえば、小学校のころから千円札のおじさんがいかに悪い奴だったかとか、関東大震災のときに朝鮮人がいかにひどい目にあったかとかさんざ聞かされ、さらに音楽の時間には「イムジン河」をフルコーラスで教えられ、といった風にすっかり韓国・朝鮮=日本の植民地支配=贖罪意識、という刷り込みが出来上がっていたものだった。学生たちを見ているとそういった「刷り込み」を本当に受けていないんだな、ということをしみじみと感じる。これは僕が小・中・高とずっと大阪だったからだろうか。しかし基本的な状況は関西県内ではそう大きく変わるとも思えないし、やっぱり世代的なギャップなのだろう。

 僕たちが受けた教育も今から思うとかなり偏向しまくったものだったと思うが、しかしその「偏向教育」が自分にとって確実に社会問題に関心を持つきっかけになったことを考えると、今の若い子達がそういった偏向に満ちた「刷り込み」を受けずに、同時に社会問題への関心を全く欠落させているのを見るにつけ、果たしてこれでいいのかと考え込まずにはおれない。せめて大学の授業で多少なりとも偏向したものを提供してみようか、などとよからぬことを考えてしまうのはそういった理由からだ。かといってこれまで僕がが受けてきた学級会の時間をつぶして延々と狭山事件の「学習」をさせるような教育が「よかった」と主張するつもりはさらさらないのだが。
 しかしそれにしても、、一部の男子学生の社会問題への関心の欠落振りはちょっとひどくて、全くのお手上げ状態。この点女子学生の方がまだましのように感じる。この辺の現象もちょっと興味深い。


 いかん、気がつけばやっぱり半島の事ばかり書いているな。無意識のうちに中国の話題を避けているのだろうか。というわけで次は溝口雄三『中国の衝撃』(東京大学出版会)という、ネタにするには格好の本が出たことでもあるので、この本について少し書いてみることにしよう。