梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

『マオ』関連本「読んだつもり」ブックガイド


http://cruel.org/other/rumors.htmlより。

ぼくも、読み始めは同じく「おおすげえ!」と喜んでいたけれど、でも最終的な評価はそれじゃ足りないのだ。「マオ」はいろんな資料をあたってよく調べてあるのは事実だが、問題はそれをもとに何を言っているか、ではないか。それをきちんと広い視点からフェアに評価できるのが、エスタブリッシュメントとしての正統文化であるはずなのに、それをやってくれそうな人もメディアもまったく思いつかない。なんでおれみたいな腰掛けサブカルの端っこの人間が、正統エスタブリッシュメント文化の仕事をかわってやらにゃいかんのだとは思うが、これからぼくが CUT とかで書く書評以上のものがどっかに出てきたら驚く。

 僕の立場からはさすがに「そうそうその通り」ともいえないのだが、山形さんの苛立ちには確かに共感できる点もある。例えば英語圏では、必ずしも専門学術誌ではない媒体に何人もの有力な評者がかなりのボリュームの書評を書いていて、それがこういった形でネットで比較参照できるようにまとめられているが、こういう状況は確かにうらやましいものがある*1

*1:この中では例えばアンドリュー・ネイサン氏による批判的な書評「翡翠とプラスチック」などはとても力が入っていて、この本を読むときどのような点に注意して読まなければならないかほぼ述べつくしているようにも思えるので、また改めて紹介したい。

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追記

矢吹先生、早速ツッコミを入れておられます。うーむ。おっしゃることは至極もっともなのだが、すでに「ユン・チアン」が広く流通してしまっているし、どうしたものか*1。とりあえず漢字表記の「張戎」も併記することにするか・・しかし「立ち読み」しただけでこの調子だから、あとからどんな本格的な批判がでてくるか楽しみ。
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_17.html

*1:さらに言えば、中国人や朝鮮人の名前を欧米人のように名を先、姓を後で表記するのもどうなんだろうか。金正日を「ジョンイル・キム」と書くようなもんだものな。というかすでに「ユン」が姓で「チアン」が名だと思っている人が相当数いるかもしれない。もちろん、白南準を「ナム・ジュン・パイク」と表記するという「先例」もあるわけだが、これも非常に変だ。だいたい何でナムとジュンの間に中黒をいれるわけ?というわけで名前の表記の問題はなかなか難しいのでした。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ云ひ」

1月31日追記

 ナム・ジュン・パイク氏が73歳で死去したとのニュースが入ってきた(下の注参照)。NYTの記事を読んでみたが、なぜナムとジュンの間にスペース(日本語では中黒)が入るのかということについては書いていなかった。合掌。
http://www.nytimes.com/2006/01/31/arts/design/31paik.html?_r=1&oref=slogin